Hannah Arendt


ハンナ・アーレント最後の戦い

T 思考の問いへ

◇ハンナ・アーレントの戦いは、自分がユダヤ人子女としてドイツに生まれたことを自覚した時に始まった。以後アーレントの道行きは、マールブルク大学におけるマルティン・ハイデガーとの運命的な出会いを含めて、否応なく戦いの様相を見せていく。よく知られている事跡だけを拾っても、ヨーロッパの反ユダヤ主義との戦い(『ラーエル・ファルンハーゲン』)、ナチス・ドイツとの戦い、アメリカ亡命後のシオニズム修正主義との戦い(『パーリアとしてのユダヤ人』)、全体主義そのものとの戦い(『全体主義の起源』)、世界の野蛮化との戦い(『人間の条件』、『革命について』、『暗い時代の人々』)、アメリカの黒人差別をめぐる孤独な戦い(「リトルロック事件についての省察」)、アイヒマン裁判をめぐるいっそう孤独な戦い(『イェルサレムのアイヒマン』)、六〇年代反乱と六八年革命をめぐるアンビヴァレントな戦い(『暴力について』)、そしてアメリカ政府機関による嘘との戦い(同)、などを挙げることができる。ナチス・ドイツとの戦いはアーレント自身の身をもっての戦いであったから、「ギュンター・ガウスとの対話」などに語られている以外のことは手紙や伝記を見ていくしかないが、その経験の意味、すなわち自由の経験の意味については『革命について』や『過去と未来の間』などに結実している。

◇ハンナ・アーレント最後の戦いは、長年つれそった夫ハインリッヒ・ブリュッヒャーに先立たれた(一九七〇年)頃に始まった。それはアーレント自身の精神を舞台にした出来事にほかならなかったわけだが、われわれはその顛末を彼女の遺作『精神の生活』に見ることができる。アーレントはこの戦いのモチーフを次のように述べている。「私はこの犯罪者(アドルフ・アイヒマン)の行ないがあまりに浅薄であることにショックを受けた。ここでは彼の行為の争う余地のない悪を、より深いレヴェルの根源ないしは動機にさかのぼってたどることができないのだ。・・・・彼には、しっかりしたイデオロギー的確信があるとか、特別の悪の動機があるといった兆候はなかった。・・・・愚鈍だというのではなく、何も考えていないということなのである」(佐藤和夫訳『精神の生活』上・岩波書店P.6)。ここからアーレントは次のように議論を進める。「このような思考の欠如というのは、我々の日常生活ではきわめてありふれたことであるのだが、そうなるのは立ち止まって考える時間もほとんどないし、ましてや、そうしたいとも思っていないからである。・・・・悪意というものをどう定義するにせよ、このような「悪への意志」というのは、ひょっとしたら悪しき行為にとってなんら必要条件ではないのではないか。ことによれば、善悪の問題、正不正を区別する能力は我々の思考能力と結びついているのではないか」(同P.7)。

◇こうして思考への問いが政治理論家ハンナ・アーレントの中心的主題として浮上する。それは同時に、アーレントが生前に本としてまとめることを放棄した『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』と『政治とは何か』で主題にしたことの語り直し、新しい次元における展開でもあった。アーレントは『人間の条件』(一九五八年)の最後に引いた「キケロがカトーのものだとした奇妙な文章」(同P.10)をここで再び引用する。「人は何もしていないときほど活動していることはないし、一人でいるときほど孤独でないときはない」(同・下線引用者)。そして次のように問う。「カトーが言っているのが正しいとするとしても、当然次のような問題がある。我々が何もしないでただ考えているとき、我々は何を「している」のか、また、通常は仲間に囲まれている我々が誰とも一緒でなくただ自分だけと一緒にいるとき、我々はどこにいるのか、と」(同・下線引用者)。アーレントはその答えを予感として持っているのだが、「形而上学的誤謬」のなかにそれが含まれていると考える(同P.15)。もとよりアーレントに形而上学の再建という意図があるわけではないが、「悪は思考の欠如によって引き起こされる」(同P.17)のだとすれば、「誤謬」のなかに分け入っていくしかない。その同じ「誤謬」が全体主義を生み出したのだとしても、それを克服する手がかりが同じ「誤謬」に含まれているのだとしたら、そうすることはアーレントの責務でさえある・・・。

◇アーレントは先に挙げた『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』と『政治とは何か』を準備していた時期に、古代ギリシア以来の形而上学的思考に親しんでいったと思われる。彼女が生まれたのはハノーヴァー近郊のリンデンだが(一九〇六年)、両親の実家があったケーニヒスベルクで少女時代を過ごしている。ケーニヒスベルクといえばカントが生涯を送った地として知られているが、実際彼女は少女時代からカントに親しんでいた。その後アーレントはマールブルク大学において教師にして恋人ともなったハイデガーと運命的に出会うわけだが、そのハイデガーもカントについての本をいくつも出している。ハイデガーに次いでアーレントが師事したカール・ヤスパースにも、カント的共和主義者という一面が強く見られる。元スパルタクス・ブントの活動家で、アーレントの生涯の伴侶となったブリュッヒャーも、カントから大きな影響を受けていたと思われる。つまり、アーレントにとっての西洋形而上学というのは、カントというフィルターを通して見たそれ、という側面が強かったのではないか。そのことがアーレントをして職業的哲学者ならぬ政治理論家たらしめた重要な要因だったに違いないと推測させるのだが、『精神の生活』においてもそれは変わらない。つまりここに見られるのは、「すべてを破砕するカント」(モーゼス・メンデルスゾーン)にも通ずる破壊的な思考であるということだ。

◇しかしながら「すべてを破砕するカント」は、同時に西洋形而上学の最後にして最大の砦でもあった(いまでもそうだろうが)。あの十八世紀という啓蒙の時代に『純粋理性批判』以下の批判書が生まれていなかったら、西洋形而上学はとっくに死に絶えていたにちがいない。いささか粗雑な言い方になるが、カントが破砕した当のものは、神的知性への通路すなわち不死なる魂を持つ人間という、キリスト教的西洋形而上学が所与としていた伝統的・中世的・独断的な人間観そのものだった。ある意味でカントは、「あぶ」にして「しびれエイ」のソクラテスに似た位置を占めていた。ソクラテスの「石女」的思考からプラトン、アリストテレスの業績が生み出されたように、カントの批判書はフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらのドイツ観念論の出発点となった。しかしソクラテスがそうであったように、カントの思考はその後継者たちのそれとは基本的に異なる。カントの本領は、恐らくはメンデルスゾーンの意図を超えて「すべてを破砕する人」だったところにある。カントの決定的な功績は、人間理性を神的知性からはっきりと区別し、人間理性の限界を画定したことにある。そうしたうえで人間理性の究極の根拠を人間がもちうる自由においた。「理論理性に対する実践理性の優位」というのはそういうことだし、なによりも政治理論家ハンナ・アーレントにとってのカントの思想とはそういうものだった。

U 『精神の生活』の異様さ

◇『全体主義の起源』に始まるハンナ・アーレントのブリリアントな著作に親しんだ読者にとっては、彼女の遺作となった『精神の生活』は恐ろしく異様な本に見えるかもしれない。というのも、『精神の生活』へと没頭していく直前の一九七〇年に発表されたエッセー「市民的不服従」(『暴力について』収録)において、アーレントは良心的な拒否に対しては政治的な抵抗を、道徳的内省に対しては人びととともに世界を形成する行為を断固として擁護しているからだ。こうしたアーレントの姿勢は、単独=ひとりであること(solitude)からはっきり区別された孤独=孤立(loneliness)という現代人のあり方を明確にし、そうした「孤独な群衆」によって構成された現代の大衆社会こそが全体主義の温床にほかならないとした『全体主義の起源』以来一貫している。思考や内省という行為はひとりであること=単独であることを前提にしているわけだから、そういう人間のあり方を彼女が否定したことは一度もないが、しかしそれは人びととともにある市民あるいは人民という人間のあり方とは根本的に異なる。そして、西洋形而上学がそうした人間の活動的なあり方を思考したことはなかったというアーレントの判断こそが、『人間の条件』以降の政治理論的著作を書かせたことはよく知られている。

◇従ってメアリー・マッカーシーのように、「市民的不服従」における良心的な拒否と政治的な抵抗とをあい容れないものとするアーレントの見解に異論を差しはさむ場合でも(『アーレント=マッカーシー往復書簡』法政大学出版局参照)、政治理論家としてのアーレントの立場は所与として前提されている。恐らくマッカーシーは、良心的な拒否と政治的な抵抗とはあい容れないものではなく、人びとは(例えばアメリカ政府が行なっていたベトナムにおける戦争について)自分の良心に照らして同意できないということから政治的な不服従という行為へと進むのではないか、そういう良心から政治的行為へという回路を否認してしまったら、そもそも抵抗ということはありえないのではないか、と言いたかったものと思われる。アーレントはマッカーシーのような異論が権利をもちうることを承知していたはずだ。だいいち孤独=孤立というあり方から単独=ひとりであるというあり方を区別して、思考と内省のための場所を確保したのはアーレント自身だったのだから。にもかかわらずアーレントが、ソクラテスのような無抵抗な死の受容やヘンリー・D・ソローのような退きこもりに対して、ガンジーや六〇年代新左翼の抵抗を称揚したのは、政治理論家としての責務のような意識があったからだろう。

◇アーレントとマッカーシーのあいだの手紙のやりとりには、アーレントとヤスパースあいだのやりとりに見られるような、第三者でもはっきり読み取ることができるような整然とした議論を見い出すことは難しい。彼女たちの手紙のやりとりは、ラヴレターのやりとりのようにさえ読める。ふたりのあいだには、女同志の友情という言い方には収まりきれない交感があったものと想像される。それはアーレントとヤスパースあいだの交流はもとより、アーレントとハイデガーのあいだ、あるいはアーレントとブリュッヒャーのあいだのそれとも明確に異なる。そうしたアーレントとマッカーシーのあいだの不思議な(エロス的な?)交感から『精神の生活』が生み出されたのではないか、という想定は研究者にとっては魅力的な題材たりうるはずだが、それはここでのテーマではないし、男である私の手に負えることでもない。ともかく「市民的不服従」に対するマッカーシーの「私にとって市民的不服従は、個人のであろうと集団のであろうと、あくまで良心と内なる光の問題であるのです」(同上P.468)という言い方にはどこか唐突なものがある。というか、ハイデガーとヤスパースの優秀な学生でもあったアーレントに向けられた言葉としては、ナイーヴに過ぎるのではないかという印象を否めない。

◇しかしそれは、ここで交わされているのが通常の議論とは別次元のものだとしたら、なにか見えてくるものがあるだろう。あるいはそれは、アーレントが「ただ自分だけと一緒にいる」と言っていることと関係があるのかもしれないし、もしかしたら、マッカーシーとのあいだの交感からそうしたアーレント独特の思念が強められたのかもしれない。アーレントの突然の死(一九七五年)によって著者を失った『精神の生活』が出版へとこぎつけられたのは、マッカーシー(と彼女を中心とする残された人びと)の努力によってだった、という周知の事情もつけ加えておこう。いずれにしても、先に引いたマッカーシーの言葉は、同時にアーレントの内的なつぶやきでもあったにちがいないと思わせる不思議さが、そのあとに書かれた『精神の生活』にはある。われわれアーレントの読者は「市民的不服従」を『全体主義の起源』以来の政治的思考の延長上で読むのだから、乱暴とも思えるアーレントの議論の背景を知っている。アーレントは思考や内省を否定しているのではなく、むしろ西洋の伝統的政治思想が見ようとしなかった事柄を思考しているのだと。あるいは、公的自由を共有することなしにだれも自由であるとは言えない、というアーレントの確信がここでも表明されているのだと。

◇その時期、もつれかかった思考の糸を解きほぐす必要をアーレント自身が感じていたということは大いに考えられる。アーレントの伝記作者であるエリザベス・ヤング=ブルーエルが『精神の生活』について述べた「あれほど難解で困惑させる書物」という言い方が当初の印象としては当たっているにしても、読み進めていくうちに、この本が『革命について』と同じ著者によるものであることが分かってくる。アーレントは『革命について』において、政治的行為をその発生の現場において捉えようとしているのだが、この『精神の生活』においても形而上学的思考をその発生の現場で押さえようとする。そのことがわれわれにもたらす解放感の絶大さは『革命について』の場合と変わらない。もとよりアーレントはアイヒマン的な無思考に対して、思考へと退きこもることを推奨しているのでもない。むしろアーレントは全体主義的思考と、「立ち止まって考え」ないことによるそれへの意識的・無意識的な追随の根拠をともに明らかにしようとする。従ってアーレントの読者がこの本を前にしてとまどうのは、アーレントにそういう体系的な理解への志向があることに対してなのかもしれない。もちろん、アーレントの理解への志向が人間の精神を解放すること、その意味で「すべてを破砕する」ことに向けられていることははっきり見てとれるのだから、ヤング=ブルーエルの言う「困惑」はいわば仮象でしかない。

V 思考、意志、行為

◇もし人間の行為が無思考⇒思考⇒意志⇒行為という風にして実現されるのだとすれば、ハンナ・アーレントの「市民的不服従」に対するメアリー・マッカーシーの異論は正しかったことになる。逆に、良心的な拒否と政治的な行為とをあい容れないものとした「市民的不服従」におけるアーレントの議論は間違っていたことになる。では、いったいどっちが正しいのか? マッカーシーが「良心と内なる光」と呼んでいるものは、純然たる思考とも、また意志の産物ともちがう。それは思考や意志から生まれることもあるのだが、基本的には人間の判断力の産物であると考えるべきだろう。そもそも『精神の生活』は、「思考」「意志」「判断」の三部からなる著作となるはずだったのであるが、アーレントの死によって「判断」の部は書かれずじまいになってしまった。従って「判断」の部を完成させることは、われわれに残された課題でもあるのだが、その構想についてはここで触れることはできない。しかしとにかく、アーレントとマッカーシーのあいだに交わされた対話がどういうものであったか、おぼろげながら見えてくるのではないか。結局それは、われわれの精神の活動と世界のなかでの行為とはどういう風に関わり合っているのか、あるいはいないのか、ということであると理解される。

◇ハンナ・アーレントの政治理論的著作やエッセーの読者は、こういう問題の立て方にとまどうかもしれない。というのも、アーレントにとっての行為とは、それが世界を形成していく行為であるかぎり、いつも「始まり」とか「創設」と呼ばれているからだ。例えば、「一七七六年のフィラデルフィアの夏と一七八九年のパリの夏から、一九五六年のブダペストの秋にいたる」(『過去と未来の間』みすず書房P.3)歴史のなかに現われた人間の行為、これらはすべて革命にほかならないわけだが、そうした出来事に見られた「革命概念は、歴史過程は突然新しくはじまるものであり、以前は全然知られていなかったか、語られることのなかったまったく新しい歴史が展開しようとしているという観念と解きがたく結びついている」(『革命について』ちくま学芸文庫P.38)、とされる。つまり、アーレントにとっての行為は「突然新しくはじまるもの」、その意味で思考や意志とは別に生起する。「以前は全然知られていなかったか、語られることのなかった」ことがなされたのだから、当のなされた行為は思考や意志の結果とは言えない。むしろ行為こそが始まりである。「始まりが存在せんがために人間は創られた」(アウグスティヌス『神の国』)。これが人間の行為(action)についてのアーレントの理解である。

◇ところが『精神の生活』においては問題の立て方がひっくり返される。行為の原因とは見なされることのなかった思考や意志が、アーレントの問いの主題へと格上げされる。それだけではない。行為・活動の領域は、多数者の領域すなわち人間の事柄の世界を固有の領域としているのだが、思考や意志などの精神活動は「世界が感覚的に現在しているという状態から退きこもる」(『精神の生活』上P.89)。「要するに、個々のものを感覚から引き離さなければならない」(同P.91)。それは「立ち止まって考えること」、言い換えれば日常の行為が停止されることによって初めて実現される。そうすると、それは「この世における人間生活の基本的実存的条件」(同P.87)である「複数であること」(同)、「人びとのなかにいる」(同)ことそのものから退きこもることを意味しているのではないか? われわれはこの世において、つまり人びとのなかにおいて、彼らとの共同の行為・活動を通じて自分自身を実現していくのだが、そうしたことから退きこもることの代償として精神活動を手に入れるということではないのか? ひょっとするとアーレントはトラキアの農民の娘に笑われたタレース、天空の動きを観察していて井戸に落ちた哀れなタレースとなることをわれわれにすすめているのか?

◇もちろんタレースとトラキアの娘の話を、少女のような快活さ(意地悪さ?)で紹介しているのは、ほかならぬアーレントである(同P.97-98)。この挿話を通じてアーレントがわれわれに教えていることは、まず(カントがそうしたように)トラキアの娘と一緒になって笑うべきこと、そして「何も考えていない」アイヒマンの浅薄で陳腐な悪をまぬがれたければ、「笑いを予知できるくらいの鋭敏さ」(同)を持たなければならない、ということだ。従って「退きこもり」についてもアーレントはひとつの答えを出している。すなわち、「精神がそれ自身の生活を持っているというのは、精神がこの(自分との)交流を実現し、そこで、実存的にいえば、複数という性格が二者という性格〔二者性〕へと還元されているときに言いうる。そしてこれは事実においても「意識」(syneidenai)という言葉が、自分自身と一緒に知るという言葉であるということにも示されている。私は、自分が自分と係わっているというこの実存的状態を「単独」〔solitude〕と呼んで、「孤立」〔loneliness〕から区別する。「孤立」の方では、私は人間との交際から見捨てられているだけでなく、また、自分との係わりの可能性もなくて孤独なのだ。私が人間との交際を奪われていると感じるのは、孤立においてだけである」(同P.87)、と。

◇要するに、精神の生活を持っているかぎり、自分が自分と関わる二者なる単独性というあり方で複数性が保持されている、とアーレントは言う。しかしそれは本当なのか? 彼女のなかに二者性というイメージが生まれたのは、ハイデガーとのラヴアフェアにおいてだったのではないのか。あるいは、ハイデガーがアウグスティヌスの言葉であるとした「あなたを愛する。あなたが存在することを私は欲する」という意味の"Amo: Volo ut sis"が引用された手紙を受け取った時(一九二五年)、アーレントのなかにそうしたイメージが生まれたのかもしれない。しかしいずれにしても、ジョルジュ・バタイユやジャン=リュック・ナンシーにとって、恋人たちの共同体がそのまま共産主義的共同体へとつながることはなかったように、アーレントの二者性が複数性と連結するものであるとは思えない。二者性と言われるものが複数性と無関係であるとも言えないのかもしれないが、この世のおきてとしての複数性の基盤となっているのは、むしろわれわれの共通感覚の方だろう。とはいえ、アーレントが二者性という詩的なイメージに拠った議論をあえてしているのは何故か、という問題は残る。ひょっとするとそれは、思考が意志と、更には行為へと関わる場面で明らかになっていくのかもしれない。

W アウグスティヌス(「出生」の思想)

◇ハンナ・アーレントみずから述べているように、彼女が『精神の生活』で行なっていることは「形而上学的誤謬」の批判的な吟味と言える。従ってそれは西洋の哲学あるいは形而上学的思考の歴史的研究という側面を併せ持つ。この本で取り上げられている主な哲学者・思想家としては、ソクラテス、アリストテレス、パウロ、エピクテトス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーなどが挙げられる。五〇年代に書かれながら、生前には出版を断念した『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』の主対象がマルクス(及びキルケゴール、ニーチェ)であったことからすると、アーレントの主題が行為・活動から思考や意志などの精神活動へと移っていることが、このことからも分かる。では、そこにハイデガーの「ケーレ(転回)」に似たなにかがアーレントにあったのかというと、そういうことではないだろう。この本を準備していた時期に彼女自身がハイデガー宛の手紙(一九七一年三月二〇日付)で、「『ヴィタ・アクティーヴァ(人間の条件)』第二巻のようなもの」と述べているように、アーレントの政治理論の真髄でもある『人間の条件』の立論に変更があったわけではない。変わっているのは、基本的には問いの対象であるにすぎない。

◇この著作のポイントがどこにあるかをひとことで述べることなどできるはずもないが、力をこめて書かれている箇所ということでは、ソクラテス、アウグスティヌス、ドゥンス・スコトゥスに触れられた箇所、と言うことはできる。アウグスティヌスは、アーレントが学生時代から強い愛着をいだいていた思想家でもあるのだが、ドゥンス・スコトゥスの思想に見られる「偶然性」と「自由」を再発見したことは、この本の最も重要な功績と言えるかもしれない。とはいえ、アーレントにとってのドゥンス・スコトゥスの決定的な重要性は、彼女によるアウグスティヌス理解の延長上に位置付けられる。従って、まずはアーレントのアウグスティヌス解釈から見ていくのがいいだろう。実を言うと、彼女の著作でアウグスティヌスに言及されていない本はほとんどないとさえ言えるのだが、この本では「第二部・意志」の「第U章・内的な人間の発見」を締めくくる第10節でアウグスティヌスが主題的に取り上げられる。その節のタイトルは「アウグスティヌス、意志の最初の哲学者」とされているが、そこに至る「第二部・意志」の序論から第9節への論述の実質的な主人公は、アウグスティヌスの意志論であるとも読める。アーレントによってアウグスティヌスが「意志の最初の哲学者」とされる所以である。

◇アーレントがアウグスティヌスを意志の最初の哲学者と考えるのは、キリスト教の登場によって古代ギリシア以来の円環的な時間概念と手を切らざるをえなくなった歴史的な事情と関係がある。つまり、「アダムの楽園からの追放で始まり、キリストの死と復活に終わる経緯は、一回きりのくり返されることのない出来事についての物語」(『精神の生活』下P.22)だからである。言い換えれば、「この物語の筋道は、直線的な時間概念を前提にしている」(同)からである。必然性や因果性という考え方はアリストテレスにも見られるのかもしれないが、われわれがこんにち知っている意味での必然性・因果性は、円環的ではない直線的な時間概念を前提している。ということは、必然性の対概念としての自由も、キリスト教以前には知られていなかったことになる。カントには「自由因果性」という考え方があるが、それは「自然因果性」と対をなすもので、いずれもキリスト教登場以後の時間が踏まえられている。つまりカントの「自由因果性」は、自由の介入によって生まれた新しい因果性、つまり「自然因果性」とは別系列の因果性にほかならず、自由そのものは因果性と対をなしている。カントにとってその「実在的時間」が神学的独断を含んでいることは、また別の問題である。

◇アーレントは思考と意志の「働き」のちがいを次のように述べる。「思考の働きは、存在しているかもしくは存在していたことを自らの持続する現在に引き入れる。これに対して、意志の働きは、未来に手をのばして、いかなる確実さもが成立していない領域へと入り込むのである」(同P.43)。だが未来という未知の領域は「恐怖を含んでいる」(同)。それ故「宿命論は何世紀にもわたって、驚くべき影響を日常的な思考に与えたのである」(同P.44)。何故なら、宿命論ほど意志の一切の形態を「うやむやに」できるものはないからである(同)。従って、「いかなる神学者も哲学者も、かつて、思考する自我の甘美さを賞揚するほどには、意志する自我の経験の「甘美さ」を賞揚してこなかった」(同P.46)。というのは、「思考する自我を支配している気分は、平静さであり、物質の抵抗を克服する必要がまったくない活動を純粋に楽しむこと」(同P.47)であるのに対して、「意志に支配的な気分は緊張であって、これは、「精神の平静」に破壊をもたらす」(同)からである。こうして、この袋小路を突破すべく、「思考から意志へと移行し再び思考へ立ち戻る」(同P.54)ヘーゲルの歴史哲学が登場する。すなわち「未来を予知された過去へと変形し、意志が投企したことを思考の対象へと変形し、魂が期待したことを予知された記憶へと変形する」(同)ヘーゲルの「天才的解決」(同)がもたらされた、とされる。

◇このようなヘーゲル解釈が「単純化しすぎ」(同)であろうことはアーレントも承知している。のみならず、意志の「働き」に着目したこうした議論が形式的なものにすぎないことも理解していたと思われる。従って、ここから「第U章・内的な人間の発見」を通じて、アリストテレス、パウロ、エピクテトスの意志論が検討されていくのだが、意志をめぐるアーレントの多岐にわたる議論が、結局のところヘーゲル的な「解決」の対極にある「行為」を目指してなされていることは明らかであろう。それ故、第U章を締めくくるアーレントのアウグスティヌス解釈も、アカデミックなレベルでは受け容れがたいものなのかもしれない。実際、アーレントのアウグスティヌス解釈は、予想しうるように、カントの「時間のなかで系列をまったく自ら始める能力」(同P.134)、その意味での「相対的に絶対的な自発性という自由」(同)へと結びつけられる。その媒介をなすのは「出生(natality)」という事実性である(同)。つまり、『人間の条件』でなされていた議論が異なる対象と領域において繰り返されているわけだ。あるいはアーレントの思考の「労苦」はここから始まるのだろうか? ともかく、アウグスティヌスに続いてトマス・アクィナスとドゥンス・スコトゥスの意志を論じた「第V章・意志と知性」を見ていこう。

X ドゥンス・スコトゥス(「偶然性」の思想)

◇世俗世界における「新しい始まり」や「自由の創設」を追求したハンナ・アーレントのような実践的な政治理論家が、「聖」とも冠されるキリスト教の思想家たちに並々ならぬ関心をいだいている事実は、奇異な印象を与えるかもしれない。若い頃に学位論文のテーマとして選んだアウグスティヌスはともかくとして、コミューンやソヴィエトなどの革命評議会を称揚した『革命について』を出版したあとに、ローマ教皇ヨハネス二三世、アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリに心からの敬意を表明した文章を書いていることには、意外の感をもちたくもなる。ロンカーリへのオマージュとも言えるその文章(『暗い時代の人々』収録)は、「いつの日も生まれるに良き日であり、いつの日も死に逝くに良き日である」というロンカーリ最後の言葉で締めくくられる。こうしたことは、アーレント自身がキリスト教の反政治的な性格を『人間の条件』などで厳しく批判していただけに、いっそう不思議な感をもたれるかもしれない。とはいえ、アーレントの熱心な読者であれば、それを不思議と思う方がどうかしている、と言うにちがいないのだが。実際、彼女の政治理論には常識的な理論理性ではつかみ切れないところがある。『精神の生活』を読み進めていくうちに、そうしたことも明らかになっていくだろう。

◇アーレントのトマス・アクィナスについての記述はかなりあっさりしたもので、どちらかというと批判的なニュアンスが強い。のみならず、またしてもカントを引きあいに出して、トマスの倫理思想の「不快」さに言及してこの節を終えている。どうやら初めから前節のアウグスティヌスと後節のドゥンス・スコトゥスをつなぐ橋渡しとしか考えていなかったようにも思える。そういうわけだから、ここではトマスを飛ばしてドゥンス・スコトゥスへ進もう。アーレントがドゥンス・スコトゥスの思想と決定的に出会ったのはかなり遅かったものと想像される。そのことは、「きょうの午後はドゥンス・スコトゥスについてのセミナーがあり、この紳士に対しては深い敬意を抱いているものですから、当然のことに怖気づいています」という、メアリー・マッカーシー宛の手紙(一九七二年五月十五日付)に見られる記述の初々しさからも推察される。では、この「精妙博士」とも呼ばれたドゥンス・スコトゥスのなにが彼女をして「深い敬意」をいだかしめたのか? アーレントは『精神の生活』のどこにもはっきりとは書いていないのだが、それは、アウグスティヌス読解によってもたらされた「出生」の事実性という、自身の政治理論の核心を権利づけうるなにかをドゥンス・スコトゥスの思想のなかに見出した、ということであろうと思われる。

◇しかし「出生」の事実性とはなにか? いや、そもそも事実性とはなにか? あるいは事実とはなにか? アーレントによると、「普遍的な存在は思考にすぎず、実在性を欠いている。「このもの性」(haecceity)で特徴づけられる個物(res)だけが人間にとってリアルなのである」(『精神の生活』下P.146)という考えに立っていたことが、「ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの偉大な特徴というか、むしろ彼を孤高にしている特徴」(同P.145)であり、このことは「存在論的」な次元のこととされる。つまり、「実際に存在しているこの特定の人間は、人類という種あるいは人類という概念よりも高度であり、先行している」(同P.146)。というのは、「創造主としての神は紛れもなく一つのペルソナであり、自らに似せて人間を紛れもなく一人一人の人間(ペルソナ)として創造したからである」(同)。こうしたスコトゥスの考えは、『人間の条件』に見られる「だれ(who)」と「なに(what)」のちがいに対応するとも思えるのだが、アーレントが「偉大」とも「孤高」とも「息を飲む」とも形容するスコトゥスの決定的な特徴は、更にその先にある。アーレントはそれを「偶然性とは、存在の積極的なあり方であって、必然性と比べても何の遜色もない」(同P.163)というスコトゥスの思想に見、それを「彼の思想の根幹」と呼ぶ。

◇アーレントはスコトゥスの偶然性の思想には「先行者も後継者もいない」(同P.161)と述べるのだが、それは自分をスコトゥスの後継者とするには思想家としての格がちがいすぎる、というアーレント独特の謙遜によるものだろう。しかしアーレントこそ「先行者も後継者もいない」恐ろしくユニークな政治理論家と言うべきで、彼女が探求した「出生」という事実的な真理は、スコトゥスの「偶然性」と「自由」の思想に比べて、格別にひけをとるものではないと思われる。先へ進もう。スコトゥスが中世スコラ哲学の時代に偶然性を称揚することができたのは「聖書の考え方」によっている、とアーレントは言う。すなわち、「創世記の世界が存在するに至ったのは、あらかじめ決定された必然的な力の発出を通じてではなく、それゆえ世界の存在は必然的ではなく、創造主たる神の決断によって"無から"(exnihilo)創造されたのであり、神には数学的原理も我々の道徳的概念も妥当でないような別世界を創造する完全な自由があると考えなくてはならない」(同P.163)からである。あるいは、「神は・・・・自由に偶然的に行為するのだとキリスト教徒は・・・・言う」(同P.165)ことができるからである。そして人間の方はといえば、「神の似像として創造された」(同)のである。

◇「人間が神の似像として作られたことの証」(同P.164)こそ「意志の自由」(同)にほかならない。スコトゥスによると、意志は「人間の精神の中で、それ自身の限界を超えることを可能にしているもの」(同P.155)であり、「欲望が求めるものに対して抵抗でき・・・・知性と理性の指令に対して抵抗できる」(同P.157)。意志だけが「実際に行なわれた決定は、決定されなくてもよかったのであり、実際に行なわれた選択は、選択されなくてもよかったのである」(同)と言うことができる。意志は「自分で意志した目標のためなら幸福を切り捨てることも人間には不可能なことではない」(同P.159)と言いうる。もちろん、そうであるからといって、意志が必然性や因果性を否定できるわけはない。スコトゥスの目標は、「変化と運動そのものが、つまり、もともとアリストテレスにおいては因果律に通じていた現象が、アルカイ(archai)〔起源〕ともどもアイティアイ(aitiai)〔始まり〕までが偶然性の支配を受けていることを示すこと」(同P.166)にある。「言いかえると、人間界の事象には因果的に決まる要素があるからこそ、まさにそれ(たまたま起きたこと)が偶然的で予言不可能だと言われることになるのである」(同)。このことを事後的に言えば、「それが起こらなかったという事態が想像できなくなってしまっているというだけの理由で、それが必然的であるということの証明にはなりえないのである」(同P.168)。

◇アーレントは更に、スコトゥスにおける意志の愛への変容、愛を活動として理解するスコトゥスの思考を跡づけていくのだが、そうなると、スコトゥスこそアーレントの先行者ではないかとさえ言いたくなる。アーレントが牽強付会を行なっているとはもちろん思わないが、スコトゥスが普遍的な存在に対して「このもの」や「個物」の優位を主張する以上は、「思考のうちにのみ存在する絶対的必然性」(カント)を超えてしまうのは当然の成り行きと言うべきだろう。従って、「歴史は・・・・自然と対照的に出来事に充ちている。この領域では、偶然や「およそありそうもない」ことの奇蹟が頻繁に起こる」(『過去と未来の間』P.231)というアーレントの言葉が、スコトゥスの言葉であったとしてもなんの不思議もないことになる。結局のところ、事実あるいは事実性というのは、必然性や力学的・生物学的過程に包摂されることのない、人間世界の出来事のことである。それは偶然的で予言不可能な出来事、その意味で奇蹟のような(すなわち「出生」や「始まり」のような)性格をもつわけだが、そうしたことをなしうる精神の能力といえば、それは思考でも判断力でもなく意志にほかならないということになる。たしかに判断力は政治的思考の基盤ではありうるのだが、それを行為を通じて現実化させうるのは人間の意志をおいてない。そして、もしスコトゥスが言うように、意志が愛や活動へと変容されうるのであるとすれば、ヘーゲルが「解決」したあの意志の袋小路と見えたものは、錯視でしかなかったことになる。

Y ソクラテス(「一者のなかの二者」)

◇以上に見たように、ハンナ・アーレントによって捉え返されたドゥンス・スコトゥスの「偶然性」と「自由」の思想こそが『精神の生活』の核心部をなす、といちおうは言えるだろう。それ以前のアーレントの思考の根幹をなしていたのは、彼女のアウグスティヌス読解から生まれた「出生」と「始まり」の思想であったわけだが、スコトゥスとの出会いによってそれに権利づけが与えられたと言いうる。既述したように、『精神の生活』の「判断」の部は彼女の死によって書かれずじまいになってしまったのだが、「意志」の部が仕上げられたことで、彼女が自分に課せられた責務と考えていたことはまっとうされたと見ることもできる(よく知られているように、「判断」については彼女は折に触れてエッセーで言及し、またカントの『判断力批判』を使った講義も行なっているからである)。アーレントの意志をめぐる思考は、彼女の学位論文などにも見られるのかもしれないが、それがわれわれにも理解しうるものとなるには、『精神の生活』「意志」の部をまたなければならなかった。そういうわけで、アーレントとマッカーシーのどっちが正しかったのかという先の問いへの答えとも関係するが、人間の精神生活と政治的行為のあいだには意志を媒介とした通路がある、というか、少なくとも意志とのあいだには双方からの、あるいは双方へと通ずる回路がある、とするのがアーレントの最終的な結論であったと思われる。

◇そうすると、これによって哲学(西洋形而上学)と政治のあいだの対立・抗争と考えられていた事態に和解がもたらされたのかというと、もちろんそういうことではない。もしそういうことが問題であったのだとすれば、プラトンとマルクスの思想が主題となったはずなのだが、そういうことはここでは問題にされていない。はじめの方でも述べたように、アーレントが『精神の生活』で問題にしたことは、思考にはわれわれに悪を回避させる力があるのどうかということ、もしあるのだとすればそれはどのようにしてかということであった。言い換えれば、人間がメアリー・マッカーシーの言う「良心と内なる光」をもちうるとしても、それはわれわれにとってどういう意味をもっているのかということ。要するに、もし思考がアイヒマンに良心的拒否への道を示しうるのだとすれば、それは人間のなす「始まり」とどのような関係にあるのか、といった具合に「市民的不服従」に対するマッカーシーの異論をみずからの問題として捉え直し、精神活動と政治的行為・活動とのあいだの関連・道筋を示すこと、そうすることで政治的行為と政治理論の範囲と対象を見直す(広げる)ことであったと言える。

◇そういうわけだから、「市民的不服従」で批判的に言及されていたソクラテスが、『精神の生活』でどういう風に扱われているのかを確認することが最後の問題となる。ソクラテスは紀元前五-四世紀のギリシアの哲学者だから、「意志」の部ではなく「思考」の部で扱われる。つまりそれは、前に述べたキリスト教的時間の登場とも関わるのだが、本質的には意志が良心とは直接には関係がないことによる。ドゥンス・スコトゥスが示唆しているように、意志が自由であるということは、それは善とともに悪をもなしうるからである。そうでなければ自由な意志とは言えない。自由な意志は必然性の自然過程・自動過程に逆らうこともできる。それに意志は善悪を判断する「器官」ではない。意志は「良心と内なる光」においては、思考と判断がそれを探求し・保持し・行使する場面においてのみ関わるにすぎない。従ってソクラテスにおける正義や徳の問題は、カントの「定言命法」のようなレベルで語られることになる。ここでは善をなすことは意志の問題ではなく、理性の命令・指令にほかならない。われわれが善くないことと知りながらついやってしまうというのは、われわれはそれをよく考えていないから知らないのだ、ということでしかない。ソクラテスにとっての思考とはそういうことであった。

◇このように言うと、キリスト教は人びとに信仰を要求しても善を要求しなかったようにも思われそうだが、それはここでの問題ではない。さて、『精神の生活』におけるアーレントのソクラテス解釈であるが、これについてはソクラテスをめぐる彼女の思考がより首尾一貫して展開されている一九五四年のエッセー「哲学と政治」(千葉眞訳・『現代思想』一九九七年七月号収録)から見ていくのがいいと思う。このエッセーにおいてアーレントは、「ソクラテスは、市民各自に彼らの真理を産出させる努力によって、都市をより真実なものたらしめようと願った」(同P.94)と述べている。「というのも、これらの「臆見(ドクサ)」が、ソクラテスもまた参画した政治的生活を構成していたからである」(同)。そして、こうした対話を通じて「ソクラテスは、アテナイの市民のなかに友人仲間を作ろうと試みた」(同P.95)のである。ソクラテス的対話は「他の仲間の観点から世界を見ること」(同P.96)を可能にする。従ってそれは、都市国家に偉大な輝きを与えたとともに、深刻な脅威をもたらしてもいた市民たちの闘争(アゴーン)的精神の過剰を抑制する。ソクラテスは、「哲学者の政治的役割は、市民が友情の理解の基礎の上に、この共通世界ーーそこではもはや支配が必要でなくなるような世界ーーを建設するのを助ける点にある」(同)という信念をもっていたように見える。

◇ソクラテスは「人々が言論を尊重する仕方で共に生きている限り、これらの言葉がすべて一緒になって、人間世界を形成していく」(同P.97)と考えていたようなのだが、その場合、市民や仲間や自分の言葉が真実であることの基準を、「その人が自分自身と調和していること」(同)に求める。「われわれは各人、「一者である」が、同時にあたかも二者であるかのごとく、自分自身と語ることができる」(同)からである。「私はすでに一者における二者(two-in-one)である」(同)。「自己自身と語る経験をもった人のみが、友人であることができ、いま一つの自己を獲得することが可能となる」(同)。つまり、「他の人々と共に生きることが、自己自身と共に生きることから始まる」(同P.98)のである。というのも、「自己自身と不調和な人には信頼を寄せることができないからである。言論の能力と人間の複数性の事実とは、相互に呼応し合うのである」(同)。「論理学だけでなく、倫理学も、この言説にその起源を有している」(同)。それゆえ、「この自己自身との対話を現実化していない人、すなわち、あらゆる形態の思考に要請される(「一者のなかの二者」という)単独性を欠いている人は誰でも、みずからの良心を損なわれないままに保持しておくことは不可能である」(同P.100)とされる。

◇アーレントは『精神の生活』に至って、人びとの「安眠」を破るこうしたソクラテスの企てを「思考の風」と呼ぶ。アーレントによると「風」の比喩を使っているのはソクラテス自身なのだが、ソクラテスに倣ってアーレントも「思考の風」のなかに身を置くことを自身にもわれわれにも要請しているように思われる。それはWで触れた「思考する自我の甘美さ」をもたらすよりも、むしろわれわれを途方に暮れさせる。しかし、「立ち止まって」、「自分だけと一緒に」考えること、しかも自分自身と矛盾することなくそうすること、それができてこそ「他人とつきあうのと同じように自分とつきあうこともできる」(『精神の生活』下P.219)のである。もちろん「考えることのない人生も十分可能」(同P.222)なのであるが、「考えない人は夢遊病者と変わらないのである」(同)。そして「考える人自身にとって、この道徳的副産物(良心)は中心的な問題ではない」(同P.223)とはいえ、「そのような反省的思考は政治的緊急事態において必ず生ずるのである」(同)。アイヒマン(たち)においても間違いなくそれが生じえていたであろうように、「緊急事態」とそれへの対応がもたらす「破滅」は、いつも、いかなるところにも、現に生じているのである。人間が一者としてしか思考しえないかぎり複数性へとつながることはないが、思考が「一者のなかの二者」を生み出すかぎり人間は複数でありうる前者は「破滅」へと通じ、後者は「始まり」へと通ずる。これがメアリー・マッカーシーの異論と友情とに対するアーレントの回答であったと言いうる。

【2005/04/17〜2005/05/13 ST】

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