今月の一枚(3)


 シュープリームス『愛はどこへ行ったの』 (MOTOWN)  

◇これまでうちのホームページでシュープリームスに触れたことは一度もなかったと思います。「光るもの」(松任谷正隆)に満ち溢れた60年代音楽に言及するのは毎度のことで(何故ならそれが依然として全てのポピュラー・ミュージックの最高の参照点であり続けている故)、ビートルズ、キンクス、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、PPMの名前はいつも挙げておりますが、これらの中にシュープリームスを入れたことはなかったと思います。考えてみれば不思議な話ですが、それはこれまでにまとまったシュープリームス論というのを読んだことがなかったせいかもしれません。まとまったPPM論というのも読んだことがないから、実はひそかにPPM論の準備を始めていたのですが、何故かシュープリームスの方が先になってしまいました。

◇シュープリームスのことを当方が知ったのは、中2の頃友達のところで4曲入りのEP盤を聴いたのが最初だったように思います。1964年の終りか65年の初めのことで、入っていた4曲というのは「愛はどこへ行ったの」、「ベビー・ラブ」、「恋のキラキラ星」、それに「ラン・ラン・ラン」だったように記憶しております。しかし当時の日本のレコード会社は凄いEPをいいタイミングで出していたものです。で、それらを聴いてどう思ったかというと、とにかく「チャーミングだなあ」ということでした。「曲は最高だわ、ダイアナ・ロスの声は超キャッチーだわ、モータウンのサウンドはメッチャ・カッコイイわ・・・」というような全体的なことまでは、その時は分からなかったかもしれませんが、その後ラジオ等で彼女らのヒット曲を聴くうちに自ずと理解されて行きました。

◇当方が中3になったのが65年の4月で、その頃までにはビートルズ、アニマルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、ハーマンズ・ハーミッツといったイギリス勢は世界を席捲し始めておりましたし、ビーチ・ボーイズを筆頭とするアメリカ勢も巻き返しに転じておりましたから、それらをめぐる当時のポピュラー音楽の情報量たるや凄まじいものがありました。アメリカのフォーク・ソング・ブームも日本に上陸を始めておりまして、ブラザース・フォーとキングストン・トリオは大変な人気でした。何故かPPMの人気は少し遅れてやって来たように記憶しております(何故なんだろう?)。あと日本独自の現象としてエレキ・ブームがありまして、65年頃までは日本全体ではビートルズよりベンチャーズの方がメジャーな存在だったような気がします。

◇ベンチャーズとビートルズの人気が日本全体で逆転したのは、多分ビートルズの映画『ヘルプ』が公開された65年の終り頃だったように思います。その頃までは、男の子は圧倒的にベンチャーズが好きで、ビートルズ・ファンは女の子が中心というような、いま考えると思わず笑ってしまうような状況さえ見られました。いやあこれはいつ思い出してもおかしい。おかしいと思いません? おかしいと言えば、66年6月のビートルズ来日公演の前座をつとめた日本勢がまた「傑作」だった。いま記憶しているのは布施明とドリフターズ(いかりや長介の)ぐらいですが、とにかくビートルズの前座としてははっきり言って恥ずかしかった。日本にグループ・サウンズの大ブームが起こるのはそのすぐ後のことですから、やっぱりみんな恥ずかしかったのかもしれません。これらの面での日本の「後進性」は以後急速に薄れていったように思います。(注記:もちろん今となっては「恥ずかしかった」という感じを待ったことの方を、少し恥ずかしく思っております。ベンチャーズに対して「差別」的感情を持っていたことについても同様です。2003/01/27)

◇当時のポピュラー音楽の情報量の話に戻りますと、この時期には更にイタリアのカンツォーネが日本でもブームになっておりました。ドメニコ・モドゥーニョの「ボラーレ」が全米ナンバー・ワン・ヒットになった58年頃からジワジワと日本にも浸透していたのかもしれませんが、当時(64〜66)のボビー・ソロやウィルマ・ゴイクやミーナの人気は凄いものがありました。確かに当時のカンツォーネの曲想は日本人の感性にジャスト・フィットするものがありました。弘田三枝子や伊東ゆかりらによるカバーもヒットしましたし。尚、ボビー・ソロは「イタリアのプレスリー」と言われてましたから、ちょっと古い感覚で受け入れられていたようです。また、アダモの「ブルージーンと皮ジャンパー」(64)、シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」(64)、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(65)も日本で大ヒットしまして、新しい感覚のシャンソンも続々と入って来ておりました。

◇シュープリ−ムスと直接関係のないことを述べて来たのは、彼女たちの音楽が日本の洋楽ファンに知られるようになった64〜65年頃の日本の音楽シーンの状況を押さえておきたかったからです。シュープリームスの音楽について「いやあチャーミングですねえ」という以上の印象を持つことが出来なかったのも、まずは当時のこの欧米から押し寄せる圧倒的な情報量によっております。とは言いましても日本の洋楽受容も、「なんでもあり」の全ジャンル横並びのアナーキー状態から、着々と「ビートルズ中心体制」に移行を始めておりまして、66年頃には「あなたはビートルズ派? それともストーンズ派?」というような言い方が音楽ジャーナリズムをにぎわせておりました。『ミュージック・ライフ』誌の星加ルミ子編集長にはこの時期一読者として大変お世話になりました。

◇尚、上に述べた「ビートルズ中心体制」とは、より正確には「ビルボード&キャッシュ・ボックス・チャート中心体制」ということで、要するに当時のポピュラー・ミュージックの「グローバル・スタンダード」へと60年代後半にかけて徐々に移行して行ったということです。ですから、シュープリームスやフォー・トップスといったモータウン勢も既にかなりの人気がありました。そうは言っても、「牛も知ってるカウシルズ」とか「木更津の伝説」といった当時のギャグ(?)がいまも語り継がれているように、テレビやラジオの各洋楽番組がそれぞれ独自のチャートを集計・発表しておりまして、それらは次第に全米チャートに近づいて行ったとは言え、マージョリー・ノエルやジリオラ・チンクエッティといったフランス、イタリア勢も60年代いっぱい人気を保っていたように思います。

◇さてシュープリームスに戻ります。彼女たちは「愛はどこへ行ったの」(64)のナンバー・ワン・ヒットを皮切りに、以後「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ」(65)、「涙のお願い」(65)、「ひとりぼっちのシンフォニー」(65)、「恋はあせらず」(66)、「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」(66)、「恋にご用心」(67)、「ラブ・チャイルド」(68)といった極め付けの名曲を続々と全米ナンバー・ワンに送り込みます。その(ナンバー・ワンの)数60年代を通じて実に全12曲。もちろんこれはビーチ・ボーイズを遥かに凌いでおりまして、後にシュープリームスが「ビートルズに対抗しえた唯一のアメリカのグループ」と称されたのは当然と言えます。ではその秘密はどこにあったのか。それをアルバム『愛はどこへ行ったの』を通してさぐってみよう、というのがこのページの目標です。

◇64年8月に発表されたこのアルバムに収録されている曲でいちばん早い時期にヒットしたのはGの「ブレス・テイキング・ガイ」(63)です。一聴して「スモーキー!」と叫びたくなるミラクルズ節ですが、まさにスモーキー・ロビンソンの作品。この全ての関節がはずれたような超リラックス系のスモーキー節は、後にスティーヴィー・ワンダーによって引き継がれます。次にヒットしたのがビルボード誌で23位まで上がったCの躍動感溢れる「恋のキラキラ星」(64/1)で、これはイントロ一発でシュープリームスの曲だってことが分かります。それもそのはず、この曲こそ以後シュープリームスを全面的にバック・アップして行くことになるエディ・ホーランド、ラモント・ドジャー、ブライアン・ホーランドの3人からなる最強ソングライター&プロデューサー・チームとの初作品なのですから。

◇次にヒットしたのがAの「ラン・ラン・ラン」で、この曲は93位までしか上がっておりませんが(64/3)、ホーランド=ドジャー=ホーランドの志向というものをほぼ完璧な形で聴くことが出来ます。それはどういうものかと言うと、まず「メロディーは下降して上昇するものだ(もちろん逆でもいいのですが)」という確固とした信念がそれです。実に当たり前の話なのですが、彼らほどこの信念の強さを感じさせる曲を書き続けたライターは見当たらないほどです。もちろん重要なのはその下降と上昇の音の形なのですが、彼らの場合はいつも中心点をめぐって下がって上がるということが曲のブロックごとに繰り返されるわけですが、その際の「半音階的進行」の名人芸がポイントで、このわざはちょっとほかでは聴くことが出来ません。

◇その次のヒット曲こそシュープリームス初の全米ナンバー・ワン・ヒットとなった@「愛はどこへ行ったの」(64/8)です。足拍子(手拍子ではない)のアンサンブルで始まるというアイデアが最高だ。この曲のメロディーは出だしの「ベイビー、ベイビー」以下下降して上昇するというパターンで出来ておりますが、メロディーの原型は「ベイビー」というひとつの単語を二度繰り返すところに出揃っております。驚嘆すべき単純さ。しかしそれをここにおいて聴かれるダイアナ・ロスのように、万感の想いを込めて発声し歌い出せる人はほかにおりません。この開始の数小節で勝負を決めるという集中力が凄い。この未聞の音楽空間を一瞬で拓くという歌い手とソングライター&プロデューサーの共同作業によって、その時点で60年代は彼女たちの時代になったと言えそうです。

◇次がシュープリームスにとって2曲目の全米ナンバー・ワン・ヒットになったBの「ベビー・ラブ」(64/10-11)です。足拍子と打楽器とヴァイブラフォンのイントロが最高にキャッチーな名曲です。これも曲の骨格は下降音形で出来ております。この曲にかぎったことではありませんが、ダイアナ・ロスが偉大なのはこれらの短い音形の中に憧れ、揺れ、歓喜、落胆、喪失といった、命懸けとも言える若い女性の熱く強い想いのすべてを込めることが出来た点にあります。このシュープリームスという女の子3人のグループはモータウン(ベリー・ゴーディ)とホーランド=ドジャー=ホーランドの操り人形のように語られることがありますが、もちろんそれは間違いで、ダイアナ・ロスという卓越した歌い手抜きにはこれらの音楽はまったく考えられません。

◇このアルバムに収録された最後のヒット曲がDの「カム・シー・アバウト・ミー」で、これはシュープリームス3曲目の全米ナンバー・ワン・ヒットになりました(64/12)。劇的なフェイド・インで始まるこの曲も素晴らしい。ベニー・ベンジャミンのタイトで愉悦感に溢れるドラムスがモータウン・リズム・セクションの基礎を形成し、ジェームス・ジェマーソンのメロディアスなベースが広々とした音楽の骨組みを築き、その上をダイアナ・ロスのしなやかで強靭なボーカルが解放感いっぱいの音楽空間を拓いて行く。更にコーラスが華やかな色どりを添える。まさに黄金郷をめぐるような幸福感に満ちた音楽です。タンバリンが印象的なモータウン・サウンドが完全な形で出来上がるのは「涙のお願い」(65)ですが、それ以外の主要な要素はこの曲あたりでほぼ出揃っております。

◇というわけで、このアルバムこそシュープリームスの栄光に満ちたキャリアの出発点となったアルバムであるわけですが、当時のヒット曲中心主義からしてシングル・カットされた曲以外では特に見るべきものはないように思います。もちろん"More Hits By The Supremes"(65)とか"Sing Holland・Dozier・Holland"(67)あたりになるとアルバムとしての完成度は飛躍的に高くなりますが、それはまた別の話です。では以上に見て来た初期シュープリームスの音楽における最も重要なポイント、つまりシュープリームスをシュープリームスたらしめた決定的なポイントとは一体何だろうか。結局これはシュープリームスを中心に置いた天才的で革命的な音楽集団の総合力の勝利であったわけですからかなり難しい問題ではありますが、やはりこれは上に述べた音楽の「半音階的進行」がそれだろうと思います。

◇つまり、手拍子、足拍子、ドラムス、タンバリン、ヴァイブラフォン、ベース等を総動員して祝祭的な音楽空間を築くモータウン・サウンドと呼ばれた彼らの革命的なアイデアといえども、それは結局彼らが創り出すメロディーとハーモニーの、聴いたこともないような素晴らしさを際立たせるための手段なのであって、決してその逆ではないということです。とは言いましても、残念ながらそれを明らかにする用意はいまはありません。そもそも「半音階的進行」という言い方は正確ではないし、それは1970年以降の平板で静的で「光るもの」が消え去った音楽に比べるとそのように聴こえるということなのであって、ここで求められていることは、正しくは、「生み出された言葉(歌詞)のリアルさと、それに対応して彼らがそのメロディーとハーモニーの創造において駆使した音階の性格を明らかにすること」、これです。どなたかこれやってくださいません?

◇さてシュープリームスが全盛時代に入るのは、アルバム『愛はどこへ行ったの』(64)のリリースの後、「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ」(65/4)、「ひとりぼっちのシンフォニー」(65/11)、「恋はあせらず」(66/9)といった60年代を代表する超名曲を全米ナンバー・ワンに送り込んだ時期のことです。とりわけ「恋はあせらず」(因みにこの邦題は音楽と歌詞の切実さを伝えていない)は、憧れで胸がいっぱいになった若い女性の心の原型というものを、これ以上は考えられないほど痛切かつダイナミックに歌い上げた真に普遍的と言える名曲です。ダイアナ・ロスの歌唱表現の「深さ」も頂点を極めております。このレベルに達しえた曲を挙げるとすれば、これまた若い男(少年)のはやり立つ気持ちをあまりにも甘美にかつスリリングに歌ったビートルズ最初期の名曲「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」(63)ぐらいのものでしょう。この「恋はあせらず」の歌詞&楽曲アナリーゼをどなたかやってくださいませんか?

【2003/01/25 KI生】
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