時事・言論レビュー(2)

◆この時期の「道路公団民営化」は有害無益である。  


◆当方小泉政権に75点ぐらいはあげてもいいと考えているので、本当は小泉政権を批判するようなことは言いたくない。75点をあげるということは、言い換えればほとんど小泉政権を支持しているに等しいわけですから、本当にその足を引っ張るようなことはしたくない。従ってここに書くことは小泉政権への批判というよりも、むしろ「コスト意識」とか「採算性」というようなマクロの経済政策から見てまったく意味のない(と言うよりもむしろ有害で壊滅的に間違った)大衆迎合むき出しの「妄言」、「迷言」を繰り返すマスコミ・ジャーナリズムへの批判として読んでいただければさいわいです。

◆もちろん批判の対象となるのはマスコミ・ジャーナリズムだけではないわけで、例えば行政改革担当大臣の石原伸晃は「道路四公団の民営化は絶対に必要であり、その理由は民営化をすれば採算のとれないこれ以上の道路拡張を自主的にやめることになるからだ」と発言しているそうですが(小野善康『誤解だらけの構造改革』日本経済新聞社P.205)、だいたいインフラの整備といった社会的に不可欠な事業の多くは採算がとれないからこそ政府が行なって来たわけであって、採算がとれるのであれば、そして余計な規制がないのであれば、初めから民間が行なっております。だからこそそうした事業は「公共事業」と呼ばれてきたわけです。

◆こんなことは日本国民の常識ではないのか。どうしてこういうあたりまえのことを改めて言わなければならないのか。言うまでもなく、それはそういう常識をマスコミ・ジャーナリズムや石原伸晃などがわきまえないで、「庶民感覚」とか「国民負担」というようなデマゴギーをふりまいてわれわれをあざむいて来たからです。困ったもんです。一体いつから「公共事業」というものが「税金の無駄づかい」の代名詞のように言われるようになったのか。最近では日本の不況が深刻化して、そのため(?)「橋本行革」を進めざるをえなくなった時期のことでしょう。「民間がこれだけ苦労してリストラを進めているのに、役所や公団は何をやっているんだ。まるで天下り天国じゃないか」というわけですね。しかしこんな馬鹿な理屈はありません。本当に「苦労」しているのはリストラされた失業者たちであって、リストラを進めて生き残った企業や企業経営者たちではないはずです。

◆因みに小泉内閣は75点と書きましたが、それで行くと「景気回復」の端緒を挫折せしめた橋本内閣はせいぜい60点ぐらいでしょう。その次の小渕内閣は本当によくやりましたから85点。続く森内閣は70点。という風に当方なら採点します。これはいずれも経済政策にかぎらない総合評価です(経済政策だけで言えば橋本内閣はせいぜい20点)。当方自民党支持者でもなんでもないのですが、この採点は「世の中の道理」をわきまえた方だったらご納得していただけるものと確信しております。この「世の中の道理」というものを明らかにして行くのがこのサイトの目的でもあるわけで、他のページも含めて今後とも是非フォローして行っていただきたいと思います。

◆話を戻します。不況とデフレの進行に一向に歯止めがかからないいま政府が真にやらなければならないことは、言うまでもなく新しい需要を創り出すことです。何故ならば、不況とデフレの進行が止まらない最大の原因は、民間の需要が不足していることにあるからです。需要と言えば、もちろんひとつは個人消費であり、もうひとつは企業の設備投資です。そして経済のエンジンとして決定的なのは、常に企業による設備や在庫や人員の投資です。ところが小泉政権が進めている構造改革の目玉のひとつとしての道路公団の民営化は、完全にこのいま政府がやらなければならないことに逆行しております。言ってみればそれは「採算のとれない事業など全部やめてしまえ」ということにほかならないからです。

◆何故こいう馬鹿なことが行なわれてしまうのか。論理的に言うなら、その最大の要因は国の借金(財政赤字)をこれ以上増やさないということにあるように考えられます。つまり財政再建のために採算のとれない公共事業を縮小・凍結して、これを民営化するということです。石原伸晃によると話は逆で、道路公団に代表されるような特殊法人を民営化をすれば採算のとれない事業は自ずと行なわれなくなるということになりますが、要は同じことです。もうひとつの要因として考えられるのは、特に日本の官庁エコノミストが伝統的にケインジアンの巣窟のように思われていたことへの反動が、こういう倒錯した「採算性」や「コスト意識」の背景にあるのかもしれません。更には、特殊法人の存在が役人の天下りや傘下企業群の既得権益の温床と考えられているということもあるのかもしれません(それ自体は恐らく事実なのでしょうが、であればそれをあらためればよい)。最後に、これに関連して自民党道路族と言われるものが「抵抗勢力」の牙城と見なされているということもありそうです。

◆いずれにせよ、日本国民としてはこういう致命的に誤った理屈で進められる倒錯した政策を座視しているわけには行きません。道路公団をスケープ・ゴートにしてそれを役人から取り上げてよしとするというような愚策を進められたら、最後に馬鹿を見るのは日本国民なのですから。馬鹿を見るということは、つまり日本の道路事情を更に悪くすることであり、高速道路の使用料金を更に高くすることであり(まずは「採算性」により、次いでその後に行なわれる道路事情の改善のための「負担」により)、最悪なのは失業者を更に増やすということであり、そのことによって景気を更に悪化させ、結局は「国民負担」を決定的に巨大なものにしてしまうということにほかなりません。

◆しかしどうしてこういう「いま政府がなすべきことは新しい需要を創り出すことである」という単純明快な正論が通リにくいのだろう。確かに橋本内閣以来の「財政出動」と「財政再建」とのあいだでのジグザグの迷走ぶりは、いまから振りかえれば目を覆うものがありました。しかしその財政政策の迷走と宇宙遊泳をリードして来たのは実はマスコミ・ジャーナリズムとそれに追随する「経済学を知らないエコノミストたち」(野口旭)、そしてそれに誤誘導された「世論」ではなかったのか。いま最も緊要の課題として議論されなければことは「新しい需要を創り出すことは当然として、それをどのように創り出すべきなのか」というマクロのテーマ以外ではありえないのであって、それ自体で採算がとれるかとれないかというようなミクロのテーマなどでは断じてありません。何故ならば、ミクロのレベルで採算がとれるか否かで判断してしまうと、上に述べたように最後により大きな「負担」を強いられるのは結局は日本国民だからです。

◆このように言うと「では一体財源をどうするんだ。これ以上更にまた国債を発行すると言うのか」という反問が条件反射のように返って来そうですね。違うのです。問題はそんなに単純な「あれかこれか」ではないのです。ここにこそいまの日本を覆う最悪のデマゴギーのひとつを感じさえします。このデマゴギーから自由にならないかぎり、橋本内閣以来の経済政策の迷走から日本が抜け出すことは出来ないのではないかとさえ思います。本当はわれわれの前にはもっとずっと多様な選択肢があるはずなのです。マスコミ・ジャーナリズムは自社の商品(新聞や雑誌やテレビ番組の内容)をより売れるように作って行くわけだから、そうした単純化と煽情化はある意味でいたし方ないとしても、あたかもそれを「正論」であるかのように言ってしまったらそれはデマゴギー以外のなにものでもなくなる(赤新聞は赤新聞らしくしてろってことです)。まあ満州事変以来の戦争を煽動・リードして来たのはマスコミなんですからね。マスコミがそういうもんだってことはよく分かっておりますけどね。

◆しかし上の条件反射的反問には「きさまは聖戦の完遂に反対だと言うのか」というような雰囲気を感じます。恐ろしいですね、デマゴギーとそれがつくり出すマス・ヒステリーというものは。われわれはわれわれ自身の本当の敵をそうしたデマゴギーによって見失ってはならないと思います。「貧すれば鈍する」とはよく言ったものですが、貧した時でも広い視野を持って問題に対処したいものです。しかしながら、いまの日本はまだ本当には貧してなどおりません。「ちょっと悲観が過ぎるかな」といった程度でしかありません。しかしそれがいま高い失業率として現れていることも忘れるわけには行きません。だからこうして非力ながらこんな駄文を書いているのですが。

◆改めて言うまでもなく、総額約700兆円と見られる国(公共部門)の債務残高は削減されなければなりません。しかしこれまた言うまでもないことと思いますが、それはまず第一に税収を増やすことによってなされなければならないのであって、好景気の時期ならともかく「無駄を見直す」というような後ろ向きでそれによって税収を減らしてしまうような方向での検討は二の次三の次の課題として考えられなければなりません。税収を増やすということは、もちろん増税を排除するものではありませんが、何よりもまずは、企業と個人の所得を増やすことによってなされなければなりません。所得を増やすことで税収(歳入)の絶対額を増やすということです。つまりゼロサム的発想ではなく、まずは日本のGDPを増大させることを知恵を結集して検討することから始められなければならないということです。それ以外の「国民負担を最小限に」というような話は眉に唾した方が賢明だということです。もっと言えば、そういう話は「ごまかし」だということです。

◆上にわれわれの前には多様な選択肢があると述べましたが、当方風情の頭脳でそれを挙げて行くことはまず不可能です。それでも無い頭をしぼって少し考えてみましょうか。例えば、故小渕首相は自由党の小沢一郎氏と組んで日本経済の重要な部分を軍需へとシフトすることを考えていたと思われるふしがあります。悪いアイデアではありませんが、戦後の日本は軍事技術の蓄積がありませんから、カネばかり食って更に債務を増やした可能性はあります。あとサミット開催地の沖縄(日米戦最後の激戦地)がらみで何かを考えていたように想像されすが、残念ながら(本当に残念!)そのアイデアは墓へ持って行ってしまいました。次の森首相はプーチンとつるんで二島先行返還でロシアと平和条約を結んで、千島・樺太・シベリアへの投資と開発を考えていたふしがある。これも悪いアイデアではなかったが、鈴木宗男とともにつぶされてしまったと考えられます。

◆こういった高度に政治的なアイデアを別にしますと、例えばダイオキシン処理等を含むゴミ処理工場の全国での建設といったような社会資本の整備が考えられます。それを「日本の自然・社会環境のとり戻しと再構築」といったような観点から大々的に推し進めることには大きな意味があります。もちろんそれには大変なおカネがかかるでしょうが、国民的なコンセンサスが得られさえすれば、なにも問題はありません。そういう場合はおカネがかかればかるほどよい。そのための目的税の体系を法制化すればよいからです。昔のように東京湾一帯で潮干狩が出来たら素晴らしいではありませんか。自然環境とともに昔のような地域社会をとり戻すことが出来たら、ひょっとすると少子化問題なども一挙に解決してしまうかもしれません。(注記:こういうやり方にはファッショの臭いがしますが、ナチス・ドイツ方式が経済政策として「有効」であることは誰もが認めるところでしょう。そしてこういう「劇薬」を使うことが最善と思われた時にそれをしないことはより大きな「罪悪」ではないだろうか。当方がその経済観の誤りにも関わらず小泉首相に高い点数をつけるのは小泉氏にはそれを行なう度胸と覚悟があると見ているからです。究極のところで指導者に必要な資質を小泉氏は持っていると当方は見る。ところで来月北朝鮮に行くんだって? 金正日がプーチン(今やブッシュの子分)に会いに行った時から何かあるなとは思ってたけど、まさかこういう展開になろうとはね。アメリカの意図としてはイラク攻撃へ向けた備えなんだろうが、これは面白い展開だ。とにかく頼りにしてるよ、純ちゃん。02/08/31記)

◆要は日本の未来を構想した前向きの大きなプロジェクトを立ち上げることです。それが国民的な支持を得られるプロジェクトであれば、おカネがかかればかかるほどいいのです。上に述べたように理由は極めて簡単で、もしそういうものが立ち上がるならば所得の再分配が非常に容易になるからです。つまり失業率20%を超えると思われる若い人たちを中心にその目的税で得たおカネをまわして実際にそのプロジェクト(それも長期の方がよい)で働いてもらうわけです(もちろん土方をやってもらうという意味ではなくて、企画立案から庶務にいたるトータルな仕事です)。財源は目的税ですから、財政赤字が増えることもありませんし、しかもそのプロジェクトに新たに従事する多くの(百万を超える)人々及び参入企業や関連企業からも新しい巨額の税収が得られます。従ってこの増えた税収で日本の財政は立ち直るわ、景気は一気に回復するわで、これ以上結構な話はないということになるわけです。実はこれと似たようなことを日本道路公団や首都高速道路公団がこれまでやって来たんですけどね。

◆当方風情がちょっと考えてみただけでも案外簡単に出て来るではありませんか。マスコミ・ジャーナリズムや「経済学を知らないエコノミストたち」が悪質なデマゴギーをふりまくことなく、また「抵抗勢力」と言われる政治家や役人が私利私欲・省利省益に走ってばかりいないで、公僕らしくもっと日本の未来のことに知恵をしぼっていればこういうアイデアはいくらでも出て来るはずです。ひとつ言っておきますと、こうした簡単なことが分かるには、ケインズやマクロ経済学をちょっと学べば充分だということです。そうすれば日本の実質の失業率はいまや10%に近づいているということ、そのことによって(ひとり当りの生産量を一定とすると)日本のGDPの10%近くが失われているということも分かるはずです。500兆円の10%とすると50兆円です。これこそ計り知れない日本経済の「実質」の損失であり、その「負担」はほかでもないわれわれが負うことになるのです。

◆以上でだいたいお分かりいただけたものと思います。言いたいことは、ミクロ・レベルの「採算性」ということで道路公団の民営化がおし進められてしまうと、失業者の増大という人的資源の壮大な無駄の放置が行なわれてしまうということです。そして実はこれこそ考え得る最大最悪の無駄なのです。何故ならば人的資源こそ日本が世界に誇る最大最強の資源だからです(もうそうは言えない?)。もちろん受け皿が考えられているのならまだいいのですが、しかしそんなものは形跡も見られません(「失業手当を手厚く」といった発想はここで言う受け皿とは何の関係もない。失業を生み出す現状を放置していることが最大の「罪悪」なのです)。どうやらいまは「採算性」と「コスト意識」が最重要であるらしい。あるのはミクロな後ろ向きの発想だけのようです。実に嘆かわしい。

◆しかしわれわれとしては諦めることなくしっかりと未来を見据えて行こうではありませんか。たとえそれが「手の届かない遠い場所」(村上春樹)にあるのだとしてもです。それではまた。

【2002/08/28 JGR生】

◆追記1:上に現在の実質の失業率を10%とすると、国内生産額=国内所得額50兆円が失われると述べましたが、これは失業率が今後実質10%で推移するとなると年々それだけが失われるということにほかなりません。これは、バブル崩壊後の土地、株、その他の下落による資産デフレで失われた総額約2000兆円に及ぶと言われる損失などよりもはるかに重大な損失であると言わなければなりません。何故ならば、前者が「実質」の損失であるのに対し、後者は「評価」上の損失だからです。「評価」上の損失はとり返しがつくが、「実質」の損失はとり返しがつかない。このふたつの損失の違いはしっかりと理解されなければなりません。しかし、こういう決定的に重要なことが、それこそ腐るほど出ている日本経済についての本(危機を煽るだけの低級で劣悪で没経済学的な本が圧倒的に多い)にちゃんと書かれていますかね? 当方は読んだ記憶がないのですが。

◆追記2:昨日(8月29日)の『日本経済新聞』(朝刊)の「第二部」一面に「規模拡大から質的充実へ/転換期迎えた社会資本整備」という見出しがドーンと出ておりました。こういう考え方は正しいのだろうか? 因みにリードの部分には「21世紀の社会資本整備は規模拡大から質的充実へ、ハード建設一辺倒から既存施設の活用などソフトを含めた国土基盤経営へと抜本的改革を迫られている」と書かれております。言うまでもないことと思いますが、これは経済(学)的提言とは言えません(もしそうならそれは壊滅的に間違っている)。しかし「日経」がこういうことを書くと、読者にはそのようには受け取られないということをこの人たちは理解していないのか? もし理解しているとしたらこれは「犯罪」ではないのか? 上に述べたことからもご理解いただけるものと思いますが、いま必要な経済(学)的提言は「規模も質も」でなければなりません。

◆追記3:要するに、この人たちはこの人たち自身が作り出した「改革世論」の風潮(「もう道路も新幹線もいらない」、「歳出の無駄を見直せ」、「政治家や役人どもの首を切れ」、「これからは量より質だ」・・・云々)に迎合しているに過ぎません。そのことで、この人たちが負わなければならない「責任」(失業という最悪の無駄を生み出す現状の放置、即ち日本経済最大の損失のたれ流しを批判し、これを正すこと)から逃げているに過ぎません。もっとも、経済の風向きが変れば論調もガラっと変わるんでしょうけどね。しかしこれは笑えません。そら恐ろしささえ感じます。「失われた10年」はこのようにして(つまり「迎合」と「責任」放棄の連鎖によって)失われたのだということが、いまは実によく分かります。村上龍なんかなんにも分かっちゃいないってことです。「規模拡大から質的充実へ」というような、口当たりのいい、いかにももっともらしい「正義」ぶりっこども(そして木を見て森を見ない視野狭窄ども)を黙らせないかぎり、日本経済の再生は当面望めないのかもしれない。

◆追記4:当方の経済学学習の現状を報告させていただきます。まずケインズですが、中央公論社から出ている「世界の名著」シリーズに収められている小論文を何本か読みました。主著の『雇用・利子および貨幣の一般理論』(東洋経済新報社)は八重洲のブックセンターでやっと手にいれて(渋谷の大型書店にはどこにもおいてなかった。こんなのってあり?)、序文と本文の数ページを読んだところです。それ以上を読むのは、マクロ経済学の教科書を少なくとも2〜3冊は読んで、それをよく理解からでないとまず無理であろうと思います。なにしろこの本は当時(1930年代)の古典派経済学の最高の頭脳を相手に書かれた論戦本ですから。というわけで、日本の経済学者(吉川洋ほか)が書いたマクロ経済学の入門書や教科書を数冊買って来て読み始めているところですが、まだ1冊も読み終えておりません。「それにしてはまあよく言うもんだね」(^^)と、われながら本当に思います。いずれにしても、学習の「成果」はおいおい報告させていただきます。それから、上に述べたことで経済学的誤りがありましたら是非ご指摘ください。よろしく。

【2002/08/30 JGR生】
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