J-POPレビュー(4)

 
 竹内まりや 《ロングタイム フェイバリッツ》
(MOON RECORDS)

◇竹内まりや様  はじめまして。小生が以前からのまりやさんのファンだったらよかったのですが、残念ながらそうではありませんでした。それどころか《されど我らがユーミン》(宝島社)という本のなかで、真保みゆきというオバサンの批評家があなたの前作《ボナペティ!》(2001)の収録曲を、「そこまで言うか」と思うほどキツイ言い方で批判しているのにほとんど同意していたぐらいですから(もしご興味がおありでしたら「J-POPレビュー(1)」をご覧ください。いま「反省」してますが)、あなたの音楽について何かを語る資格などないと言うべきなのかもしれません。小生が持っているあなたのアルバムにしても、今回のこの新作以外では1981年に出された《ポートレイト》(RVC)だけです。この《ポートレイト》だけはどうしても手放すことができなかったものですが、小生にとって今回の新作はそれ以上のアルバムになることはまちがいないようです。

◇以上は畏れ多くも(?)手紙の形式でレビューを書くことへの言い訳ですが、やはりまずは後悔や懺悔みたいな意識が強くあるということです。しかし考えてみれば、われわれがある音楽に出会うか出会わないかは、かなり偶然性の高い「めぐりあわせ」みたいなところがあるわけですから、遅ればせながらこうして「竹内まりやの音楽」に出会えたことをよしとするしかないのでしょう。前置きはこれぐらいにして、レビューに入らせていただきます。まず今回の60年代ポップスのカバーで構成された《ロングタイム フェイバリッツ》の選曲基準ですが、むかし《ポートレイト》を愛聴していた者としてはとてもよく分かります。ひとつ意外だったのは、懐かしいカンツォーネ(60年代イタリアン・ポップス)が3曲も入っていることですが、実はそこにあなたの音楽に隠された、しかし究極のチャーム・ポイントがあったのかもしれないといま思っております。あとで《ポートレイト》を聴き直してみます。

◇さてまりやさん。学年で言うと小生はあなたより4つ上になります。つまり、ビートルズの曲がビルボードの1位から5位までを独占した1964年4月は小生が中2になったばかりの時でした。小生が欧米のポップスに目覚めて積極的に聴き出したのは更にその1年後で、従って《ロングタイム フェイバリッツ》であなたが歌っておられる「夢みる想い(ノ・ノ・レタ)」や「砂に消えた涙」に出会ったのは中2の終り頃でした。そうしますと、あなたがこれらの歌に出会われたのは小4の頃ということになり、更に「悲しきあしおと」とか「悲しき片想い」になると、あなたが小1か小2の頃ということになります。たしかにその頃パラダイスキングや弘田三枝子さんが、これらの曲を日本語で歌っているのがTVで放映されていたようですが、それにしてもずいぶん早熟でいらしたようです。あなたは単にそれを見聞きしていたのではなく、心で受け止めておられたのですから。

◇どうしてこういうことを言うかといいますと、あなたは小冊子《PAUSE》(SHINSEIDO)でも語っておられませんが、このアルバムには「ビートルズ登場前の60年代ポップス集」という裏のコンセプトがあるように考えられるからです。まりやさんもよくご存知のように、ビートルズ登場前と登場後とではポップス全般の感触がはっきりと変わっております。小生が音楽を学んでいたら音階とリズムで説明できると思うのですが、そういった変化はビートルズのアメリカ上陸によって2位にあまんじることを余儀なくされたレスリー・ゴーアの「恋と涙の17才」(63)にもはっきりと聴かれます。ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」(64)でも同様です。小生はこの劇的とも言える転換を「60年代音楽の新しい始まり」と呼んでおりますが、まりやさんは今回のアルバムでは(恐らくは注意深く)そうしたビートルズ登場後の曲を外しておられます。つまり、いわば「目覚めの前の幸福なまどろみ」という裏のコンセプトがこのアルバムにはあると思うのですが、いかがでしょうか?

◇もし小生の推測が当たっているとすると、まりやさんはいずれ《ロングタイム フェイバリッツ・目覚め編》みたいなアルバムを出されることになるはずです。その場合には、先に挙げたレスリー・ゴーア、ペトゥラ・クラークのほか、ナンシー・シナトラ「シュガータウンは恋の町」(66)、シーカーズ「ジョージー・ガール」(67)、ルル「いつも心に太陽を」(67)、ヴィッキー・カー「この恋に生きて」(67)、ジュディ・コリンズ「青春の光と影」(68)、メアリー・ホプキン「悲しき天使」(68)あたりは是非歌っていただきたいと思っております。ひょっとすると、まりやさんも忘れておられたご自身のもうひとつの「ルーツ」を発見されるのではないかという気がします。もっとも、山下達郎さんは小生がここに挙げたような曲を「メジャーすぎ」、「楽曲として強力すぎ」として難色を示されるかもしれませんが、ここに挙げた歌手たちの周辺、あるいはもう少し遡って63〜65年頃にもマイナーな佳曲はいくらでもあるはずですから、お二人(?)でご検討いただければ幸いです。

◇いささか「勝手な話」で済みません。さて、それでは今回の《ロングタイム フェイバリッツ》の収録曲に入ります。まず@がヘレン・シャピロ/弘田三枝子の「悲しき片想い」(61)。やっぱりこれですね。オープニングはこれでなきゃ、というまりやさんの構想に泣けます。まさにこれこそ「幼年期の至福のまどろみ」。そして、この歌い出しのフレーズ。これ一発で「あの時代」に持って行かれます。この一曲で弘田三枝子さんは小生の永遠のアイドルになったものですが、心も震えるサビの美しさを、まりやさんの歌を聴くことで初めて思い出したような気がします。そしてAはアンドレア・キャロルの「なみだの16才」(63)。90年のシングルのカップリング曲だそうですが、たしかに「音」がちがいます。これもサビの美しさは大変なもので、「竹内まりやの音楽」の原型のようにさえ聴こえます。ここからBのコニー・フランシス「ボーイ・ハント」(61)に移る構成がまた凄い。小生がコニー・フランシスのCDを買ったのは比較的最近ですが、こんなにいい曲だとは気づきませんでした。

◇続いてCマージョリー・ノエルの「そよ風にのって」(65)。このフレンチ・ポップスは脳天気な感じがしてよく分からないのですが(小生は昔から好きではありませんでした)、アルバムを構成する上での「つなぎ」という意味ではよく理解できます。そしてDのジリオラ・チンクエッティの「夢みる想い(ノ・ノ・レタ)」(64)。これまたこのアルバムのハイライトのひとつと言うべきでしょう。ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」とともに、日本の音楽ファンにサンレモ音楽祭を知らしめ、その前にわれわれがひれ伏した極め付けの一曲です。「必殺の」という形容はこの曲のためにある、と言いたいほどです。「必殺の至福」などというわけの分からない言葉を使いたいほどです。ご存知の通り当時日本では梓みちよさんがこの曲を歌っておりましたが、日本語の歌詞が駄目でした(「管理人のつぶやき」2003/09/11でも書きました)。これはまりやさんが歌っておられるように、ジリオラ・ヴァージョンに尽きます。こういう「まどろみ」が続くのなら、「目覚める」ことは「まちがい」なのかもしれませんが、あるいはこれは「目覚めの瞬間の至福」なのかもしれません。なにしろビートルズ・アメリカ上陸の64年の曲ですから。

◇そして次がEスティーヴ・ローレンスの「悲しきあしおと」(60)ですが、よくぞこの曲を入れてくださいました。小生この曲のことをずっと忘れておりましたが、たしかに小4か小5の頃よく耳にしておりました。もちろんパラキン(パラダイスキング)が歌う日本語ヴァージョンの方です。"FOOTSTEPS"という言葉が分からず、アラビア語(?)かなんかだろうと勝手に思い込んでいたものですが、なんだ「フットステップス」だったのか。なんだ(^-^)。まりやさんの歌う日本語ヴァージョンは「ボーナスCD」の方に入っておりますが、ここに聴かれる山下達郎さんのドゥー・ワップ風「ひとりオケ」こそ最強と言うべきでしょう。こういうカバーを聴いてしまうと、この路線でもう一枚「アーリー60'sもの」を作っていただいた方が楽しいかもしれない、という気にもなります。もちろん「レイト50's」が入っていてもいいわけですが。ともかく、完全に記憶の底に沈んでいた「あの曲」と「あの時代」がまざまざと蘇えって来たのは、こちらのドゥー・ワップ・ヴァージョンによってでした。なんだか「幼年期の至福のまどろみ」などというのは小生の勝手な「作り話」のようにも思えて来ます。

◇Fはエヴァリー・ブラザースの「ウォーク・ライト・バック」(61)。山下達郎さんとのデュオでカントリー・フィーリングいっぱいにやっておられますが、いやまさに当時の日本は空前のカントリー人気の時代でもありました。いまでは信じられないほどですが、たしかにカントリー・フィーリングは「あの時代」のとても大切な「空気」の一部でした。Gは伊東ゆかりさんの「恋する瞳」(65)。小生が持っている伊東ゆかりのCDでは日本語で歌われておりますが、イタリア語ヴァージョンがここまで「必殺」の魅力と美しさを持った曲だったとは・・・。まりやさんにただ感謝です。続いてHはシェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」(62)。絵に描いたような「幸福なまどろみ」です。Iはミーナ(/弘田三枝子)の「砂に消えた涙」(64)。小生も大好きな曲ですが、オリジナルとはギターの「音」がはっきりちがいます。ガットかギター本体がちがうと思います。これでは小生が大好きな「砂に消えた涙」とは別の曲になってしまいます。小生の思いちがいでしょうか? Jは映画「いそしぎ」の主題歌(65)。まさにアストラッド・ジルベルトですね。いわゆる60年代ポップスとはジャンルがちがいます。

◇Kのノエル・ハリソン/ダスティ・スプリングフィールドの「風のささやき」(68)も映画(「華麗なる賭け」)主題歌。「名曲」(ミッシェル・ルグラン作曲)ではあるのでしょうが、これも60年代ポップスとは別のジャンルです。そしてLは60年代を代表するデュエット曲、フランク・シナトラとナンシー・シナトラの「恋のひとこと」(67)。大滝詠一さんとデュエットしておられますが、原曲ではフランク・シナトラがリード・ボーカルをとって、娘のナンシーがコーラスを付けているのですから、小林旭みたいな(^-^)声のよく出る人とデュエットされた方がよかったと思います。ところで"SOMETHING STUPID"がどうして「恋のひとこと」なんだろうと昔から気になっていたものですが、今回初めて歌の意味を知ることができました。そして最後のMがスキーター・デイヴィス/ブレンダ・リーの「この世の果てまで」(63)。まりやさんと同様小生が初めて聴いたのもブレンダ・リー・ヴァージョンでした。シングル盤は「愛の賛歌(IF YOU LOVE ME)」とのカップリングだったと思います。まりやさんのかすれ気味の声がとてもグッドです。アルバムの締めくくりはやっぱりこの歌で決まりでしょう。

◇というわけで、I以下の4曲は多少「????」という印象がありました。もうひとつ欲を言わせてもらいますと、ジャケットが少女時代のまりやさんを描いた可愛らしいイラストかなんかだったらなあ、とも思います。しかし、それだとあまりにも予定調和的なお約束パターンになってしまったかもしれません。むしろ、まりやさんご自身の「ねじれ」のようなものが現行のジャケットに強く表現されているようで、考えさせられるものがあります。そしてまた、60年の「悲しきあしおと」が収録されていることで、小生の「目覚めの前の幸福なまどろみ」説の中味を見直すことが要請されたという意味でも、このアルバムがただのカバー・アルバムなどではない、とても「深い」アルバムであることことがよく分かります。小生としてはこれからまりやさんの旧作を少しずつ聴いて行くことになりそうです。そしてできれば1年後くらいに、まりやさんの更に素晴らしい新作が聴けることを心から願っております。最後に、このような形式でレビューを書かせてもらったことをどうかご容赦いただきたいと思います。

心からの挨拶をこめて  突然やって来た、誠実なあなたの <JPR生>

2003年11月1日

J-POPレビュー(3)へ

トップページへ