J-POPレビュー(5)

  FACES  Yuming Compositions:
Yumi Matsutoya
 (松任谷由実)
(EXPRESS/東芝EMI)


◇年末とくればユーミン。というのは90年代前半までのニッポン金ぴか時代(「上滑り」と言いたいほどユーミンが「独走」していたあの時代)の話と言うべきかもしれませんが、ともかく『Wings of Winter, Shades of Summer』以来1年振りの新作登場。とは言っても、今回はセルフ・カバー・アルバム。それも松田聖子、小林麻美、バンバンらに提供した楽曲を中心とした再演もの。新曲集でないところにいくぶんかの淋しさはあっても、ユーミン・ファンとしてはこういうものが聴きたかったのも事実。ですから、まずはユーミンに感謝。4人のユーミンを使ったにぎやかなジャケットのコンセプトは不明ですが、ともかく聴いて行きましょう。

◇まず@の「オーシャン・ブルー(Ocean Version)」は稲垣潤一が歌った84年の曲。当方としては初めて聴く曲だと思いますが、ホーン(ブラス)をたっぷりと使った、いかにもこの時期(『NO SIDE』の頃)のユーミンという感じの曲。派手めのドラムスや間奏のギターも同様。Aは「日付変更線」で南佳孝が78年に歌った曲。『流線型'80』から外された曲としても聴けそうな佳曲。ただし作曲は南佳孝。そしてBは小林麻美が84年に歌った「雨音はショパンの調べ」。作詞と作曲はフランス人(ですよね?)で、ユーミンが関わったのは日本語歌詞のみ。いかにもヒットしそうな歌謡曲調の曲。実際あちこちでよくかかっていたと思います。Cの「瞳はダイアモンド」は松田聖子が歌った83年の曲。作詞は松本隆。ユーミンのコーラスが美しい。Dは「あの頃のまま」で、ブレッド&バターが歌った79年の曲。たしかに『悲しいほどお天気』に入っていそうな曲ではあります。

◇以上のDまでは食事で言えば前菜、小説で言えば人物紹介や背景説明といった趣きがありますが、バンバンが75年に歌ってヒットしたEの「「いちご白書」をもう一度」でいきなりクライマックスに突入。イントロのピアノが聴こえた瞬間に、これから始まる音楽が一種異常とも言えるものであることが分かります。それにしても、初めて聴いた頃は嫌いで嫌いでたまらなかったあのバンバンの「いちご白書」がなぜ? 当方この音楽が嫌いでたまらなかったくらいですから、当然映画『いちご白書』も観ておりません。しかしバフィ・セントメリーが歌った映画主題歌(「サークル・ゲーム」)はけっこう気に入っておりましたから、いいかげんな話ではあります。映画は68年のコロンビア大学かどこかの学園闘争に題材にしたものだったと思いますが、そういうものをセンチメンタルに回想するという製作者の姿勢(ちがいました?)が耐え難かった。

◇耐え難さの極め付けが、このバンバンの軟弱フォークか四畳半フォークを地で行くような曲想と歌詞でした。まさに「虫酸が走る」とはこの曲のためにある言葉ではないか、というのが当方が当時この曲に対して抱いていた印象でした。ですから、1980年頃にアルバム『悲しいほどお天気』を聴いて一発でユーミン・ファンになったのち、「いちご白書」の作者がユーミンであったことを知ったあとでも、ユーミンはこの曲を書いたことを悔いているにちがいないと思っていたものです。だいたい、この曲に対して当方と同じような印象を持っていた方は少なくなかったはずです。もちろん、そういう方は映画も観ていないでしょう。その「いちご白書」をユーミン自身がセルフ・カバーするなどということは、およそ考えられないことでもあったわけですが、時はめぐり(あれから約30年)、こうして松任谷正隆のプロデュースによって「いちご白書」が甦ったわけです。

◇で、結果はどうかと言いますと、まさにユーミンならではのジャパニーズ・ミュージック。ジャパニーズという言い方が問題であるとすれば、エイジアン・ミュージックと言っても構いません。モダーンというのを頭に付けてもよさそうだし、プレ・モダーンでもいいかも。ともかく「春よ来い」を知ったあとでは、これもユーミン・ワールドの重要な一面であることがよく分かります。イントロに入っている「ざわめき」も実に効果的。そして2コーラス目から入るヘヴィーなギター、サビのあとのオーケストレーションもほとんど完璧と言えます。「泣き」のギターを中心に据えた間奏も素晴らしい。センチメンタルな曲想をここまで裸にしてしまった上で重い響きを導入されては、もう軟弱フォークとか四畳半フォークといった印象は吹っ飛びます。というか、こういうのをアウフヘーベンと言えばいいんでしょう。凄まじくも見事な内在的換骨奪胎と言えます。

◇ちょっと強引過ぎるのではないか、という感がないではありませんが、ここまで自分の音楽に対して「暴力」を行使できるのもユーミン(と正隆氏?)ならでは。バンバンの70年代的「優しさ」が持っていた「いかがわしさ」を、ここまで完璧に叩き潰してくれたら、もうなにも言うことはありません。そしてFは84年に薬師丸ひろ子が歌った「Woman」("Wの悲劇"より)。作詞は松本隆。まさに「透明な悲しみ」の音楽。続くGは荒井由実時代のユーミン74年のヒット曲「やさしさに包まれたなら」。いやあ、いいですねえ。当方この曲を聴くたびに、「小さい頃は神さまがいて」の「神さまが」の下降音型にしびれまくっていたものですが、その点はここでも変わらず。そもそもアレンジも含めて元曲をほとんどいじっていないのですから、それも当然ですが、ユーミンが最も「プロコル・ハルム音階」に近づいたこの音楽は、まさにひとつの「奇跡」と言うべきです。しかしそれだけに、荒井由実の声は入れずに、いまのユーミンの声と解釈でストレートに勝負して欲しかった。

◇Hは麗美が84年に歌った「星のクライマー」。作曲もREIMY。意外にいい曲ではありますが、いま一歩かな。そしてIがまた荒井由実73年の「ベルベット・イースター」。山下邦彦という人が書いた『甦れ、ユーミン!』(太田出版)によると、坂本龍一が「いちばん好きな曲」というのがこの「ベルベット・イースター」なのだそうですが、たしかに元曲に聴かれるピアノの下降音型は素晴らしい。しかし、坂本龍一(と山下邦彦)のフランス印象派音楽好みの感性に強く訴えるほどには音楽的な感動はない、というのが本当のところではないのか。しかも今回のRicky Petersonのアレンジはあまりにもシブイ。73年の元曲では「ひくい空」がまだよく見えていたのが、ここでは視界がほとんど霧に閉ざされてしまっている。ドビュッシー的な『Wings of Wninter...』の世界とでも言ったらいいか。つまり、これはユーミン不在の「ベルベット・イースター」ではないか、という印象が強い。要するに、人間は音楽的センスだけでは感動しない、ということです。

◇ですから、Jの「オーシャン・ブルー(Blue Version)」(@の別バージョン)に曲が変わったところでホッと一息という気分になります。ファンクでアッパーな@に対して、ちょびっとボサノバというブルーな雰囲気がとってもグー。結局、EのクライマックスがG、I、Jとゆっくり減衰しながら完結して行くという構成になっているようですが、聴く方としてはもう一曲でいいからEに迫る感動が欲しかった、というのが正直なところか。もちろん、「@やAに感動しないお前の感性の方がおかしい」という意(異)見がありうることは分かります。@やAが名曲であることはまちがいありませんし、B、C、Dにも魅力的な聴きどころはあります。しかし、Eの圧倒的な感動を味わったあとでは、やはりそれらは導入部を彩るエピソードであったと考えないわけには行きません。とは言え、音楽は意識と同時に無意識にも強く訴えかけて(かつ、それを改変してさえ)いるわけですから、しばらく時間がたてばまた印象も変わる、というのは大いにありうることです。

◇さて、前作『Wings of Wninter...』については、ディキシー・チックスの『HOME』との関連でその音楽的・歴史的意味に言及しましたが、残念ながら今年はまだチックスの最新ライブ・アルバムを買っていない。なんとも間の抜けた話ですが、今回は「「いちご白書」をもう一度」にしぼりましょう。ユーミンはこの曲のセルフ・カバーでなにをやろうとしたのか? ここで言えることは、既に述べたようにバンバン的「優しさ」を解体するということです。なぜ「優しさ」が解体されなければならないのかと言えば、それは、「優しさ」というものが人間の自由・正義・連帯への志向とは逆のベクトルを持つからです。つまり「優しさ」は人間の未来志向性を隠蔽・抑圧する傾きが強い。それは戦いからの離脱と諦念を合理化するものでしかない。しかも、人間の多様性を認め合った上で互いに結び合うというものでもない。更に、それは希望の同盟ではなく、絶望の野合と言うべきではないのか。要するに、停滞や後退の同義語としての「優しさ」の拒否、これが今回のアルバムにおけるユーミンの「メッセージ」なのではないか、ということです。しかしここまで言ったらユーミンにおこられるかな・・・(^-^)。

【2003/12/19 JPR生】
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