今週のおすすめ〔20〕

◇小津安二郎『麦秋』の紀子について (2008/04/04)

◇今回も映画の話です。毎度映画の話をするつもりはないのですが、もう少しお付き合いいただければ幸いです。また、今回とり上げる『麦秋』も当店の目録にはありません。その点もご了承ください。

◇前回申しましたように、小津安二郎の『麦秋』は昭和26年に公開された映画です。もっと細かくいうと昭和26年10月3日公開。私ごとを言わせていただくと、この映画が公開されたときにはもう生まれていました。映画をみてもなんにも分からないない赤ん坊でしたが。また、私は昭和30年以降の北鎌倉と鎌倉のことはよく知っています。ですからこの映画を初めてみたときは、原節子演ずるヒロイン紀子たちの家は鎌倉にあるらしいのに、北鎌倉駅から出勤していくのをみてびっくりしました。小津は観客に謎をかけているのかとも思いました。

◇その出勤の場面に続くのが、北鎌倉駅を出ていく上り横須賀線を北鎌倉女子学園付近の高台に置いたと思われるキャメラで撮った超ロングショットです。しかし、そのショットも登場人物の視点とは関係がないらしいことが分かってきます。いずれにしても、この映画の導入部にはちょいと驚かされます。紀子たちの父・間宮周吉を演じた菅井一郎も、自分たちの家が鎌倉のどこにあるのか分からなくなったと証言しています。

◇もちろん、分からなくていいのです。旧鎌倉市街地に住むと思われる紀子たちを北鎌倉駅から出勤させているのは、ひとつは散文的な鎌倉駅では絵になりにくいこと。もうひとつは出勤していく紀子が二本柳寛演ずる矢部謙吉と駅で会う場面が必要とされたこと。このことはあとで意味を持ってくるのですが、鎌倉駅は通勤通学客が多いから、人の少ない北鎌倉駅にする必要があったということでしょう。『晩春』の父の場合は、普通の人より遅い時間に出勤しているようですから、鎌倉駅から電車に乗っていますが。

◇そういうわけで、紀子たちの家の場所はどことは指定されておりません。しかし敢えて推測してみると、「お兄さん、急がないとあと7分よ」という紀子のセリフからして、駅(北鎌倉駅ではなく鎌倉駅と考えた方がいい)から急ぎ足で5、6分のところ。更に、画面に出てくる由比ガ浜と長谷の大仏からそう遠くないところ。そうすると、御成町、由比ガ浜、佐助、笹目町のあたりということになります。もう少し範囲を広げると、長谷、小町、扇ガ谷を入れてもいいかもしれません。映画では紀子が3歳の孫娘を連れた杉村春子演ずる矢部たみ(矢部謙吉の母)と長谷の大仏で偶然会うという設定になっていますから、たみたちの家もそのあたりと考えられます。紀子たちの家からたみたちの家は歩いてせいぜい10分程度と思われます。画面を見た感じからいえば、紀子たちの住む家の場所は長谷か笹目町とするのが妥当ではないかと思われます。

◇この『麦秋』については、以前「KILLER MUSIC」ページの「管理人のつぶやき」で駄文を書いたことがあります(2006/04/06〜2006/05/18)。しかしその頃はまだ小津映画の全体像がつかめておりませんでした。従ってそのときとはアプローチの仕方も違ってきます。前回、フロイトによるナルシシズムの定義からすれば『麦秋』の紀子がナルシストの資格を十二分に備えていることは明らかですということを書きましたが、そういう方向から「『麦秋』の紀子とは誰か」ということを改めて考えてみたいわけです。

◇そのような観点からこの映画をみていくと、紀子の結婚の決定はどのようにしてなされたか、ということが問題の中心になります。いやそもそもこの映画で語られているのはそのことです。つまり紀子とはいかなる人間であるかということ。父(菅井一郎)、母(東山千栄子)、兄(笠智衆)、兄嫁(三宅邦子)、そして紀子の甥に当たる兄夫婦の子供たちからなる家族との関係から始まり、父の兄に当たる大和からきた老人(高堂国典)、紀子が勤めている会社の専務(佐野周二)、親友のアヤ(淡島千景)、戦死した次兄省二の友人矢部謙吉(二本柳寛)、その母たみ(杉村春子)といった登場人物たちとの交渉のなかから紀子のキャラクターが立ち上がっていく。そして彼らの関心も紀子の結婚ということに集約されていく。その過程がこの映画の物語にほかならないわけですから、上に述べた「方向」なり「観点」なりは決して特殊なものではないことになります。もともとこの映画はそういう「方向」「観点」からつくられている。そう言って構わないわけです。

◇この映画には紀子という人間のあり方を示唆する箇所があちこちに見られます。しかし、紀子の人格の核心にあるものが画面全体に溢れ出すのは、紀子が矢部謙吉と話をするニコライ堂が見える喫茶店の場面です。そこで二人は、スマトラ島あたりで戦没したと思われる紀子の次兄で、謙吉の同級生だった省二の話をします。紀子「よく喧嘩もしたけど、あたし、省兄さんとても好きだった」、謙吉「あ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向うから来た軍事郵便で、中に麦の穂が這入ってたんです」、紀子「ーー」、謙吉「その時分、僕はちょうど『麦と兵隊』を読んでて・・・」、紀子「その手紙、頂けない?」、謙吉「ああ、上げますよ、上げようと思ってたんだ」、紀子「ちょうだい。あ、来たわ(待っていた長兄の康一が)」。

◇紀子の表情から何かが溢れ出すのは、謙吉から省二の手紙のことを聞いた直後です。手紙の話をする謙吉から紀子に切り返されたときの、それまでとは一変した表情に驚かされます。謙吉から再び紀子に切り返されたところで、「その手紙、頂けない?」となるのですが、謙吉も紀子の表情の変化に気圧されていることが分かります。「上げようと思ってたんだ」という弁解じみたセリフに謙吉の受けた驚きが聞かれます。「あ、来たわ」で元の紀子に戻るのですが、既に紀子を包む世界はステージが変わっています。これは同じ小津安二郎の『晩春』における、叔母から父の再婚話を聞いた直後の紀子の変化に対応しています。しかし『晩春』の紀子に現われるのは憤りですが、ここに現われるのはエロス的なものです。つまり、ここで紀子は自分自身のエロスを規定しているものに気づく。それが戦争で死んだ省二の存在(不在)だったわけです。

◇この場面に続くのが謙吉の母たみが紀子にプロポーズする有名な場面ですが、そこで「あんたのような方に、謙吉のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろうなんて、そんなこと考えたりしてね」という申し出を紀子が「素直に」受けるのは、自然な成り行きです。紀子の決定的な自己認識を媒介した当の人物こそ謙吉だったわけですから。それに「その手紙、頂けない?」、「ああ、上げますよ、上げようと思ってたんだ」というやりとりはもう済んでいます。しかし帰宅した謙吉はその話を聞いてやはり衝撃を受ける。謙吉の「嫁に?」には驚愕が現われている。たみは前日のやりとりを知らないから、「あたしゃ、お前がどんなに嬉しいだろうと思ってさ」と言いますが、謙吉は紀子の"秘密"を知ってしまったわけだから、嬉しさより事態を理解することに注意が向いている。しかし、たみに「嬉しいだろう?」と何度も聞かれれば、「嬉しいさ」と答える以外ありません。

◇この映画の物語はここから終盤に向かっていくわけですが、紀子の決定を覆すことができる人間は誰もおりません。このことに関連してデヴィッド・ボードウェルは次のように述べています。「彼女(紀子)の罪は、今日の西洋の観客には明らかではないかも知れないが、甚だしいものである。彼女は(・・・)誰にも相談せずに決定して、自分の結婚相手を選ぶ権利を、家族にまったく与えない。(・・・)要するに、彼女は伝統を無視して行動するのである」(デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎・映像の詩学』青土社P.516)。それはそうかもしれないが、紀子が戦前・戦中・戦後を貫く歴史の化身のような存在として描かれるかぎり、その決定は動かしようがありません。そういうことが緊密に描かれている以上、この映画は間違いなく名作と言えますが、そのことによって紀子が少し人間離れした存在になってしまったことは否定できないでしょう。

◇しかし言うまでもなく原節子演ずる『麦秋』の紀子はこわいほど魅力的です。『晩春』と『東京物語』を併せた紀子3部作のなかでもとびきり魅力的なのがこの『麦秋』の紀子かもしれません。魅力的という意味はリアルという意味でもあります。しかし、そうであるが故にこの映画にはなにか謎めいたものが残ります。それは戦前・戦中・戦後を貫く歴史の謎であるとともに、戦後という時代が生み出そうとしていた謎であるとも受け取ることができます。「古風なアプレゲール」という言葉は、そのような謎を指示する言葉なのかもしれません。過去が問いかけてくるものは『麦秋』においてだけでなく、『東京物語』においても主題化されています。しかし"来たるべき謎"とでも言うべきものについては、小津自身もそれほど意識的ではなかったと思われます。しかしこの映画が私たちに問いかけているのは、むしろ"来たるべき謎"についてではないか。そのように考えないと、この映画の底にあるものは見えてこないのではないか。そう思われてなりません。




今週のおすすめ〔19〕

◇吉田喜重の8月15日映画『秋津温泉』 (2008/03/28)

◇前回の最後のところで申し上げたように、吉田喜重の映画『秋津温泉』の岡田茉莉子演ずるヒロイン新子とは誰かという問いは、私たち自身の問いでもあります。その理由を、戦後の日本人は総じて「古風なアプレゲール」ですからと申しましたが、それはそう評される『麦秋』のヒロイン紀子(のりこ)が新子と同じ種類の人間であるという意味ではありません。『麦秋』の紀子にしたってナルシスシズムの傾きがありますが、紀子は新子ではありません。そもそも人間は大なり小なりナルシストです。それが新子の場合のように自分自身の滅びにつながることは稀であるとはいえ、そのような危険には普遍性がある。映画『秋津温泉』が私たちを震撼させる理由はそこにあります。

◇ここで引き合いに出した『麦秋』は1951年に公開された小津安二郎の映画です。そのヒロインが原節子演ずる紀子であるわけですが、彼女のナルシシズムは映画をみるかぎりではそれほど前景化されていません。しかし紀子が誰にも相談せず、結婚をひとりで決めたあとのさまざまな仕草にそれを見ることができます。それが言葉で語られるのは、笠智衆演ずる兄・康一による次のようなセリフです。「(12歳の頃の紀子は)こんなところへ、ちょこんとリボンなんかくっつけて、よく雨降りお月さまなんか歌っていましたよ。」

◇ここに言われる「雨降りお月さま」とは、野口雨情作詩、中山晋平作曲による「雨降りお月」のことで、歌詞は次のようなものです。「雨降りお月さん、雲の陰/お嫁にゆくときゃ、誰とゆく/ひとりで傘(からかさ)、さしてゆく/傘ないときゃ、誰とゆく/シャラシャラ、シャンシャン、鈴つけた/お馬にゆられて、濡れてゆく」。これは大正14年に発表された歌ですが、紀子の独立不羈ぶり、彼女に特有の行動様式を見事に言い表わしています。更に紀子の女学校時分のアイドルがキャサリン・ヘプバーンであったという親友アヤ(淡島千景)のセリフを併せると、紀子のナルシシズムのあり方はいっそう明確になります。

◇ところでその紀子が「古風なアプレゲール」と評されるのはなぜでしょうか?それは紀子が結婚を決めた相手の謙吉(二本柳寛)が、彼女が「好きだった」と言う次兄・省二の親友だったことからきています。その次兄はスマトラあたりで戦死したと考えられていますが、紀子は次兄に執着しています。謙吉はそのことを知っているから彼女が嫁にきてくれることを母親(杉村春子)のようには無邪気に喜べないのですが、ともかく紀子が戦前、戦中の継続としての戦後を生きる人間であることは明らかです。ここに過去を忘れつつある戦後日本とのずれが見られますが、独立不羈のナルシスト紀子の自己=歴史認識はそういうものです。

◇そういう意味では『秋津温泉』のヒロイン新子も、『麦秋』の紀子とほぼ同じ志向の人間と言えます。しかし『秋津温泉』と『麦秋』とでは映画のテーマが違います。『麦秋』では戦後ということはそれほど強く前景化されませんが、『秋津温泉』では戦後そのものが主題化されます。それゆえ『秋津温泉』におけるヒロインの描き方は、『麦秋』のそれとはまったく異なります。『秋津温泉』では昭和20年8月15日におけるヒロイン新子の行動が決定的な意味をもちます。新子は女中のお民と食料の買い出しに行った帰りに玉音放送に接します。日本の敗戦を知った新子は秋津荘まで全力で走って帰り(この場面は木下恵介『二十四の瞳』からの引用かもしれません。吉田は木下の助監督としてスタートしていますから)、周作が休んでいる離れで大泣きに泣きます。秋津荘にきていた軍人の前で「日本は負ける」と口走った新子が「1時間も2時間も」泣くのです。

◇新子が8月15日に大泣きに泣くことの意味は映画でははっきりとは語られません。しかしそれが新子の生命力の爆発であることは明らかです。日本の敗戦が新子にとっても耐えがたい苦痛であり悲しみであることはたしかだと思われますが、「1時間も2時間も」泣くことを通じて新子という人間の生が解放されます。周作と一緒に秋津の高原を散策する場面で、周作から離れた新子はいかにも気持ちよさそうに高原の空気を吸って、「ああいい気持ち。戦争って本当に終わったのね。嘘みたいだわ」と言う。秋の高原から見る広大な風景に向かって。そしてそこに溶け込んだ自分自身に向かって言うように。これが新子にとっての戦後の原風景であるようです。8月15日に大泣きに泣いた新子の目に見えてきた戦後日本の原風景。

◇新子が自分自身を解放していくチャンスはそこにあったようにも思えますが、どうやらそうではなかったようです。なぜなら新子にとって8月15日と昭和20年夏の日々は周作とともにあったからです。新子にとって8月15日とは肺病で死にかかっている周作への献身的な看護と不可分であったからです。新子の生きることと愛はそういう形で解放されます。この映画における秋津は一種のサナトリウム空間として見ることができます。周作がそこに滞在する結核患者であるとすると、新子はサナトリウムの看護者ということになります。このように見ると、新子が秋津を離れない理由が見えてきます。周作がそれほどの後ろめたさもなく「おめおめと」新子のいる秋津にやってくる理由も分かってきます。もちろんこれはそうも解釈できるということですが、藤原審爾の原作を読めば、映画では分かりにくい含みが見えてくるかもしれません。

◇この映画の終わりの方で、「一緒に死んで」と懇願する新子に対して周作は次のように答えます。「生きるとか死ぬとかってのはねえ、そんなことはもう昔のことなんだ」。更には「そりゃあ生きてたって意味はないかもしれないよ。だがね、だがそういうもんなんだよ、人間てのは」とも。このあとの方の言葉を聞いたあと新子はひとりで命を絶つことを決意します。当然の決定と言えます。新子にとって8月15日とそこから始まる戦後は「生きること」そのものだったからです。しかし周作は、意味がないかもしれない生、生きているのか死んでいるのか分からないような生も人間の生であると言う。これは新子にとっては「生きること」それ自体への侮辱であり、裏切りです。その周作の言葉に確固としたものが感じられないこと、しかも周作は折にふれて新子から「生きること」を教わったと語っていただけに、いっそう許しがたい裏切りと感じられる。

◇そもそも戦後を生きる私たちにとって8月15日とはどういうものでしょうか?それについてこれまで多くの人たちがさまざまに語ってきたと思いますが、私がいちばん納得したのは昭和20年9月5日の朝日新聞社説から「8月15日正午の天籟」という言葉を引いている桶谷秀昭の文章です(桶谷秀昭『昭和精神史』文藝春秋)。「天籟」というのは『荘子』「斉物論」にある言葉だそうです。従って本当の意味はよく分かりません。とにかくそれは天地が裂けるような経験であったのですが、同時にある啓示でもあったらしい。そういうことだけは分かります。なにしろ壮絶な戦闘が硫黄島や沖縄の陸、海、空に展開され、本土には原爆2発を含むB29の爆弾が降りそそいでいたわけですから。しかし突然それはもう終わったと言われた。本土決戦も一億玉砕ももうないのだと言われた。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、ポツダム宣言を受諾したのだと。

◇日本人はこれを受け入れた。恐らく理解しがたいままに強引に噛み砕いて飲み下した。しかしそのことによって戦後の日本は引き裂かれたのだと思います。少なくとも吉田喜重が『秋津温泉』で描き出した戦後の日本という空間はそういう空間です。ひとつは周作がそこに属する軽薄才子たちの俗なる空間であり、もうひとつは新子が属する現実的には存在しえない聖なる空間です。実際にはこの両空間は相互的で、ときどき入れ替わったりもする。恐らくそれは戦後に生きる私たち各人にも言えます。だがそうはならないこともある。この映画の新子のケースがそうなのです。だからこそ私たちはこの映画に震撼させられるわけです。新子が言う意味での「生きること」は、上手に世渡りすることでも、動物のように生存することでもないのですから。「戦後は終わった」と言われたのは昭和31年ですが、ここに言う意味での戦後は終わっておりません。昭和20年8月15日は隠されつつ現前しています。映画『秋津温泉』が告げているのはそういうことです。

◇最後に新子のナルシシズムについて少し触れておきます。フロイトは「ナルシシズム入門」に次のように書いています。「特に美女の場合には、発達にともなって自己満足が発生し、対象選択の自由が社会的に歪められていることの償いをするのである。このような女性は、厳密な意味では自分だけを愛する」(フロイト/中山元訳『エロス論集』ちくま学芸文庫P.255)と。ここでは「美女の場合」と言われていますが、美男の場合でも、才能ある人間の場合でも、想像力に富む人間の場合でも、ほとんど同じことが言えるでしょう。とにかくこの定義からすれば『麦秋』の紀子がナルシストの資格を十二分に備えていることは明らかです。では新子の場合はどうか?彼女は「間違って」周作を愛したのか?そうではないと思います。彼女は「生きること」に忠実であり過ぎただけです。言い換えれば8月15日の巫女か天使のような存在になってしまった。上のフロイトの言葉の最後を「厳密な意味では生きることだけを愛する」にすると、新子のナルシシズムの姿が見えてくるはずです。そういう意味でも新子の運命は私たち自身の運命にほかならないと言えます。




今週のおすすめ〔18〕

◇吉田喜重の実存的メロドラマ「秋津温泉」 (2008/03/21)

◇前回の最後のところで予告したように、今回は吉田喜重の傑作メロドラマ映画「秋津温泉」で行きます。古書店の「おすすめ」で映画をとり上げるというのもなんだかへんですが、お許しを。「秋津温泉」は1962年の映画ですから、まあ古書みたいなものです。それに、優れた映画は文学や哲学の古典を「読む」ようにみなければならない場合があります。この「秋津温泉」もそのような読みを要請している映画と言えます。ただし、この「秋津温泉」も当店の在庫にはありません。ご了承ください。

◇この映画について川本三郎は次のように述べています。

◇「『秋津温泉』の岡田茉莉子は恋に破れたから死ぬのではなく、より美しいものに殉じて死を選ぶのである。この映画の岡田茉莉子は終始、毅然としている。笑顔をほとんど見せない。着物姿に崩れはなく、帯はいつもきつく締められている。生きることの緊張感をなくした男を、そして、生者が次第に堕落していった戦後という時代を毅然として拒絶している。その孤高の、怒ったヒロインの姿が圧倒的に美しい。」(川本三郎『君美わしく/戦後日本映画女優論』文藝春秋P.139)

◇また長部日出雄は次のように述べています。

◇「戦後間もないころは、日本人の多くがそれぞれに理想というものを抱いていた時代であった。映画『秋津温泉』で、山奥の温泉宿を経営するヒロインは、胸奥に秘めた信念をひっそりと守り通して生き、男(長門裕之)は都会に出て、現実に泥み、しだいに俗化していく。(改行)そして最後には男に絶望し、自己の理想に殉じて命を絶つヒロインを、岡田茉莉子は鮮烈無比に演じて、毎日映画コンクール、キネマ旬報、NHK映画賞などの主演女優賞を総取りにした。」(長部日出雄『邦画の昭和史/スターで選ぶDVD100本』新潮新書P.134-5)

◇少し長い引用になりましたが、映画の概要と、ヒロインを演ずる岡田茉莉子の美しさはだいたいご理解いただけると思います。吉田喜重といえばまず「エロス+虐殺」が挙げられることが多く、実験的な映画をつくる人というイメージが強いと思われましたので、これは美しい女優が演じたヒロイン映画なんだということを強調したかったということもあります。もうひとつは、ヒロインの死に共通する動機を与えていること(「より美しいものに殉じて死を選ぶ」、「自己の理想に殉じて命を絶つ」)に注目していただきたかったことです。

◇この映画の物語は戦争末期の昭和20年夏から始まります。岡山から秋津(モデルは鳥取との県境に近い奥津)に疎開してきた長門裕之演ずる肺病みの学生・河本周作は、そこで岡田茉莉子演ずる温泉旅館のひとり娘・新子(しんこ、17歳)と出会います。彼らはそこで終戦を迎えますが、それを境にして互いの愛を自覚していく。周作の病が癒えてきた初秋、秋津の高原をふたりが散策する場面の美しさは喩えようもありません。よく喋りよく笑う明朗快活な新子、そして彼女に接することで自殺願望から抜け出した周作の像が初秋の高原のなかにくっきり描かれます。悲劇の影はどこにもありません。ただし、新子の気質を規定しているナルシシズムについては周作と初めて出会う布団部屋の場面で示唆されています。

◇実は周作は自殺願望から抜け出していたわけではなく、文学に傾倒することでそれから逃れていたのですが、3年後(昭和23年)に再び死に場所を求めて秋津にやってきます。周作はそこで一緒に死ぬことを新子に求めます。新子はそれに応じますが、渓流に飛び込む寸前、おかしくなった新子が大笑いをはじめて心中は未遂に終わる。そのあと新子は未亡人の母親の求めに応じて見合いをしますが、見合いから帰ってきたとき母親の希望で周作が岡山に帰されたことを知る。映画でははっきり語られませんが、新子が見合いをしたのはこのときだけであったと推測されます。未遂に終わった心中によって、自分の愛が唯一絶対のものであることを新子は自覚します。周作が岡山に帰ったあと、新子がひとり川原の石の上に仰向けになって煙草を吸うショットによってそのことが告げられます。着物姿で寝転んで煙草を吸うというアプレぶりです。しかしそのことを通じて新子は自分の「内面」をのぞき込む。この美しい場面の意味はそういうことであると考えられる。また、この場面の美しさに新子のナルシスティックな陶酔が捉えられていることも見逃せません。

◇20歳になった新子は、こうして自身の深い孤独、そして周作へ向けた愛が絶対的なものであることを知る。ここに悲劇の芽が生まれているわけですが、新子とてその時点でそこまでは知るよしもありません。周作が3度目に秋津にやってくるのはその3年後(昭和26年)です。旅館の女中・お民(日高澄子)がそのことを新子に知らせる場面の岡田茉莉子の美しさ、母親が死んで旅館の若女将となった新子を演ずる岡田茉莉子の憂いを含んだ美しさには目をみはります。厚手の黒っぽい羽織(コート?)に身を包んだ新子は、周作の来訪を知って雪の上を旅館に向かって駆け出していきます。この映画のなかで岡田茉莉子が見せる最も幸福感に満ちた女の姿と言えます。彼女は途中で下駄を脱いで足袋のまま駆けていきます。

◇しかし周作は変わっていた。新子も「周作さん、すっかり変わったわね」と言う。じっさいその3年のあいだに周作は文学仲間の松宮(宇野重吉)の妹・晴枝(中村雅子)と結婚していた。しかも周作は新人文学賞を受賞した松宮にあからさまに嫉妬するような男に成り下がっていた。そういうことが新子には分かる。このシークエンスはそういう風に描かれています。今回もまた周作は岡山へ帰っていくのですが、雪が積もった旅館の下の橋を渡っていく周作を捉えた超ロングの俯瞰ショットは絶品です。それはまた、結婚してつまらない男になってしまった周作に対する新子の愛の変容を視覚化したショットでもあります。

◇周作が帰ったあと、新子はお民に向かって次のように言います。「あたし、後悔するとか諦めるとか、そんな辛い思いをするくらいなら死んだほうがよっぽどまし。それなのにとうとうそうなってしまった。あたしにはこれ以上できない。なんにもできなかったのよ。あたしに残ったのは、この秋津荘だけね。」

◇次に周作が秋津にやってくるのはその4年後(昭和30年)です。27歳になった新子はそこにおいて初めて周作と肉体的に結ばれます。この4度目の逢瀬がそれまでと違うのは、新子に黙って帰ってしまった周作を追っていくことです。ふたりは津山で一泊するのですが、翌朝の津山駅のホームにおける別れの場面は痛切です。周作に「今日はぼくに送らせて欲しいね。さあ行きたまえ」と言われた新子はホームを歩いていきますが、下り階段の手前で立ち止まります。新子はそこで列車に乗った周作を見送ります。その新子の姿を下り階段の途中から撮った仰角ショットがそれに続きますが、それは溝口健治の「夜の女たち」(1948)における田中絹代の駅ホームのショットとほとんど同じです。シチュエーションも極めて似ています。

◇最後に周作が秋津にやってくるのはその7年後(昭和37年)ですが、この映画では津山で周作と別れた時点で新子は実質的に死んだ=生きた屍になったと示唆されています。とはいえ新子が実際に命を絶つのは最後の逢瀬のあとです。しかし、そうとすると新子の死とはいったい何なのか?それは周作へ向けた新子の愛の死なのか?3度目の逢瀬のあと「あたしにはこれ以上できない」と語った新子ですが、4度目の逢瀬のとき「これ以上」のことを行なっていた。であれば新子は何を求めていたのか?3度目に会ったとき周作が「すっかり変わった」ことを見抜いていた新子ではないか。つまり新子は周作に求めていたものが終わったことを知っていたはずではないか。そうであるなら、新子の周作への執着は何にもとづくのか?

◇この映画が問うているのはこのことです。じっさい新子が桜の木の下で手首を切り、渓流にそれをひたして本当に死んでしまったあと、その場に駆け戻ってきた周作が発する言葉は「なぜ死んだ。なぜ死ななきゃならないんだ」というものです。しかし新子は実質的には7年前に死んでいた。いや更にその4年前の「それなのにとうとうそうなってしまった」と語った新子は既に「死に至る病」に取り憑かれていた。「死に至る病」ということなら、更にその3年前、川原の石の上に仰向けになって煙草を吸いながら自分の「内面」をのぞき込んだ時点で当時20歳の新子に取り憑いていた。そう見ることもできる。もっと言えば、冒頭で示唆された17歳の新子のナルシシズムに悲劇の「起源」を見ることだってできるではないか。従って、問われなければならないのは「新子とは誰か」ということです。これは阿部日奈子の優れた論考「周作とは誰か/『秋津温泉』に見る戦後批判」(『ユリイカ』2003年4月臨時増刊号「総特集・吉田喜重」収録)を言い換えたものですが。

◇「新子とは誰か」という問いは、もっと一般的に「新子的実存とは何か」と言い換えることができます。そもそも新子には「外部」というものが存在していたのか。それは新子の「内面」が投影されただけの「像」にすぎなかったのではないか。新子が「死に至る病」、あるいは「死に神」に取り憑かれたのは、彼女自身のナルシスティックな「内面」志向ゆえではないのか。この「外部」と「内面」という主題については吉田喜重自身もそうとうに自覚的であったようで、4度目の逢瀬の津山の城址公園の場面における外部音=現実音(街の騒音、そして女学生たちの声)とテーマ音楽の交錯を通じてそのことが追求されています。

◇ちなみに「秋津温泉」の音楽を担当しているのは林光で、ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」第1楽章と、マーラーの交響曲第5番アダージョをミックスしたような美しいテーマ音楽が使われます。このテーマ音楽は運命の動機+死の動機と見ることもできます。ご存知かと思いますが、後者(マーラーの交響曲第5番アダージョ)は死の影が漂うヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で使われました。

◇「秋津温泉」はそういう映画です。この映画のヒロイン新子の死が「より美しいものに殉じて」、あるいは「自己の理想に殉じて」と言えるにしても、どうして新子はそういう生き方をしたのか、せざるをえなかったのか、それはなぜなのか、そもそもなぜ新子は秋津を離れないのか、そういうことが問われなければならない。私たちはその答えをこの映画に「読む」ことができる。この映画はそういう種類の「テキスト」と言えます。更にこの映画が素晴らしいのは、みる者すべてに新子はおれだ、わたしよ、と思わせる力がみなぎっていることです。戦後の日本人は総じて「古風なアプレゲール」(小津安二郎「麦秋」中のセリフ)ですからね。そういう意味でもすべての人におすすめしたい戦後日本映画を代表するメロドラマの名作です。




今週のおすすめ〔17〕

◇成瀬巳喜男の遺作「乱れ雲」 (2008/03/19)

◇最近の「今週のおすすめ」は当店の目録にないものが続いておりますが、今回も同様です。しかも前々回に続いて映画の話。とはいっても、今回は小津映画でも東映仁侠映画でもありません。最近見直して強い感銘を受けた成瀬巳喜男の遺作「乱れ雲」をとり上げてみたいと思います。この映画のストーリーは、内田樹の最近のブログのタイトル「一人では生きられないので死んで貰います」をもじっていうと、「二人が一緒になることを運命が許さないので別れて貰います」ということができそうです。

◇それにしてもこのコーナーで「「東京物語」と「昭和残侠伝・死んで貰います」」という小文をアップした1ヶ月後に内田樹が「死んで貰います」が付く一文を書いているのにはちょいと驚きました。そうはいっても、私が東映仁侠映画をみるようになったのは内田樹のブログのおかげなのですから、本当はびっくりするようなことではないのですが。

◇さて成瀬巳喜男の遺作「乱れ雲」(1967)については阿部嘉昭という人が『成瀬巳喜男・映画の女性性』(河出書房新社)という本のなかで実に丁寧な批評を書いています。私などがそれにつけ加えることはほとんどないのですが、ここでいいたいことは、成瀬はこの映画をつくることでそれ以前の成瀬映画にはみられなかった運命の視覚化とでもいうべき成果を挙げていること、これです。

◇悲恋映画の傑作としては溝口健治の「残菊物語」(1939)、マーヴィン・ルロイの「哀愁」(1940)、それに成瀬自身の「乱れる」(1964)などが挙げられます。しかしそれらと「乱れ雲」が決定的に異なるのは、この映画では死へと通ずるような運命の力が映像へともたらされたことにあると思うわけです。もし本当そうであるとすると、この「乱れ雲」は世界の映画史を画するような悲恋映画の傑作であるといわなければならなくなるでしょう。以下そのことについて述べてみたいと思います。

◇上に「死へと通ずるような運命の力」といいましたが、マーヴィン・ルロイの「哀愁」ではまさにそれがストーリーの骨格、あるいは推進力になっています。婚約者のロバート・テイラーが戦死したとの新聞記事、そして生活苦によって主人公のビビアン・リーは娼婦へと身を落とすのですが、実は彼は生きていた。しかしビビアン・リーは復員したロバート・テイラーの愛を受け入れることができず、けっきょく死を選ぶ。まさに絵に描いたようなメロドラマといえますが、ここでは「死へと通ずるような運命の力」はストーリー化されています。つまり「哀愁」では視覚が捉えるものとしての運命が主題になっているとはいえない。

◇同じことが溝口の「残菊物語」でも成瀬の「乱れる」でもいえそうです。ただし「残菊物語」にあっては、花柳章太郎の船乗り込みの晴れ姿に運命の非情さをみることもできます。「残菊物語」が世界映画史上に輝く傑作である所以はそこにあります。つまり貧しい2階の下宿で死んで行くヒロイン森赫子と、その恋人花柳章太郎の船上の晴れ姿を交互に映し出すことで、男としての最高の栄光がまったく空虚なものとなる。とはいっても、これも物語の映画的話法であって、運命の視覚化とはいえません。

◇よくいわれるように、成瀬の映画には小津や溝口の映画に見られるような、誰がみてもそれと分かる特異なスタイルというものはありません。成瀬ファンはよくご存知のように、成瀬の映画には彼ならではの署名(雨、チンドン屋、目線の交錯、男女の歩行、振り返り、など)が見られるにしてもです。映画監督の楊徳昌がいうように、成瀬はいつも静かな物語を静かに語ります。「乱れ雲」も一見そう見えるにしても、なにか違います。

◇まずいえることは、クライマックスのセリフが極端に少ないこと。そのためサスペンスの質がある種ホラーな感触を帯びること。またそこへ至るまでにいくつもの伏線が張られているのですが、それらすべてがクライマックスにおいて一気に前景化する。ここに「乱れ雲」の映画としての新機軸があります。例えば、映画前半の司葉子の夫が事故で死んだことを告知する描写、即ち、鉄道の信号機→交通事故の報→包帯に巻かれた男の人体、という一連の描写がここでそっくり再現されること。また、司葉子が加山雄三の下宿を訪ねる場面の俯瞰と仰角の切り返しが、旅館に救急車がやってくる場面でも反復されること。

◇しかし上に述べたこの映画のホラーな感触というのは、そういうサスペンスフルな話法とは少し違うように思われます。それは司葉子と加山雄三が十和田湖で遊ぶ場面、十和田湖で心中した男女の遺体の捜索を目撃する場面、そして旅館から見られた最後の外の光景、これらすべてが白っぽい曇り空に覆われていること、ここからきているように思われます。美しいはずの十和田湖周辺の風光が決定的な場面では白く覆われる。それは死者の目に映る風光、あるいは死後の世界のようでさえあります。更に印象的なのは、十和田湖の風景を映画に登場する人物がなにも語らないことです。見えているのに完全に黙殺される。

◇この映画の最後のショットは十和田湖の方を向いた司葉子を背後から撮ったもので、司葉子の顔はまったく見えません。そもそも夫を車で轢いた加山雄三に憎しみの表情を向ける場面以外では、司葉子は表情らしい表情を見せません。しかし成瀬がすごいのは、司葉子の無表情に照明を当て角度をつけることでエロスを刻みつけることです。この映画はまぎれもないメロドラマなのですが、白っぽい十和田の風光と、司葉子の白い無表情と、クライマックスのセリフの少なさによって、神話的な黙劇の様相を帯びます。このようにしてわれわれは死を挟んだ司葉子と加山雄三のふたりを覆う運命の影を見せられるわけです。

◇上に運命の視覚化と述べたのはそういうことです。小津のようにスタイルを完成させていくというのでもなく、最後の映画においてさえ更に未踏の領域に挑戦していくという姿勢が素晴らしい。成瀬自身はそれが遺作になるとは思っていなかったにしても、そういう姿勢によって「乱れ雲」は「残菊物語」をもしのぐメロドラマ映画の大傑作になったと考えられる。メロドラマ映画の傑作としては吉田喜重の「秋津温泉」(1962)もぜひ挙げなくてはなりませんが、それについてはまた改めて見てみたいと思います。




今週のおすすめ〔16〕

◇吉本隆明『日本語のゆくえ』 (2008/03/06)

◇「今週のおすすめ」の5回目は「吉本隆明本へのお誘い」(2007/09/25)というものでしたが、今回はその続編あるいは応用編といっていいかもしれません。「吉本隆明本へのお誘い」と違うのは、今回取り上げる『日本語のゆくえ』(光文社)は当店にはまだ在庫がないことです。ちなみにこの本の発行日は2008年1月30日。新刊書店では現在取り扱い中のはずですから、そちらでおもとめください。

◇この本は昨年6月に出た吉本隆明『自著を語る』(ロッキング・オン)の続きのような性格を持っています。5つの章から成っていますが、1章から4章までは『言語にとって美とはなにか』(1965)、及び『共同幻想論』(1968)で展開されたモチーフの現時点での語り直しとして読むことができます。それを踏まえて第5章「若い詩人たちの詩」が語られていく、そういう構成になっています。つまり吉本隆明の現在の中心的主題は第5章で語られている。そういって構わないでしょう。

◇そこで語られているのは次のようなことです。

◇吉本隆明はこれまで「団塊の世代」あたりまでの詩人のものしか注意して読んでいなかった。それでそれ以降の詩人の詩がどうなっているかをつかんでみたいと思って、「今度、新しい現在の詩人・・・二十代、三十代の詩人の詩集を三十冊近く読みました」(P.200)。その結果以下のようなことがわかってきた。

◇「それまで適当な気分で若い人の詩を読んでいたときは、党派性に捉われない彼らのいい面だけしか見えなかったわけですが、二、三十冊ぐらいの詩集をきちっと読んでみますと、こりゃちょっといいとばかり言えないよという要素がとてもよく浮かび上がってきたのです」(P.204-205)。

◇「もう少し「脱出口」みたいなものがあるのかと思っていたけど、それがないことがわかりました。つまり、これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり「無」だと思うしかないわけです。いってみれば、「過去」もない、「未来」もない。では「現在」があるかというと、その現在も何といっていいか見当もつかない「無」なのです」(P.206)。

◇もう少し引用を続けます。

◇「詩を言葉で表現するという意味合いにおいても、社会がどうなっていくか、あるいはどうなっていけばいいのかという問題においても、まったく「無」に等しい状態になっている。これがいまの二十代、三十代の人の詩を読んだときの全体的な印象です。これは、いろいろな意味で大きな問題だと思います」(P.207)。「これはたいへんな状態だねといえば、もうたいへん重要な状態だと思います」(同)。「まったく塗りつぶされたような「無」だ。何もない、というのが特徴であって、これはかなり重要な特徴だと思いました」(P.208)。

◇そして次のように述べる

◇「だれがつっかえさしているんだとか、あるいはどこを目標に定めたらつっかえなくできるのかということもよくわからないような状態です。しかも、わからないながらに別段の危機感もない。何かそういう状態がごく当り前のように受け入れられている」(P.218-219)。

◇吉本はこのような事態を「たいへん重要な状態」、「かなり重要な特徴」、「とても重要な兆候」(P.208)といっています。そのうえで、「もしかすると、それは日本の現代社会全体の問題なのかもしれない。そういうところとかかわってくるように思います」と述べる(P.223)。更には、「これは自分が考えていたよりももっと重要なことだなという感じをもちました。なにかひとつ大きなテーマを与えられたように感じます」とも(P.226)。

◇偉いですね。さすがは吉本隆明です。兆候をみてすぐ診断を下そうとする藪医者、あるいは三文批評家のようなことはしない。しかし「塗りつぶされたような無」とは一体どういうことなのか?吉本はその例としてふたつの詩をとり上げていますが、小生にはそのいずれも無とは思えない。むしろかなり優れた詩にみえる。従って想像するしかないのですが、まずは「社会がどうなっていくか、あるいはどうなっていけばいいのか」という問題意識が生まれる地盤の喪失からくるそうした関心の不在ということがあるらしい。

◇これはどういうことかというと、例えばポストモダンのメルクマールとしてよくいわれた「大きな物語、メタ物語の終焉」(J.-F.リオタール)ということが挙げられるでしょう。もちろん「動物化するポストモダン」(東浩紀)というような議論もそうなのでしょうが、吉本隆明がリオタールや東浩紀と違うのは、むしろそうしたポストモダン化の積極的推進者であったことです。そうした吉本の構えがロシア・マルクス主義=スターリニズム的なものへの嫌悪からきているにしてもです。ここから「塗りつぶされたような無」という問題は、「世間的な意味で重要だというよりも、ぼくにとって重要だぞという気がしました」(P.227)といわれるのでしょう。

◇しかしいずれにしても「大きな物語」に対置して仮構される「小さな物語」など、「人間」「意味」「労働者」「資本」「革命」「コミュニズム」「マルクス主義」「国際主義」「党」といった「大きな物語」なくしてはほとんど無に等しい。例えば、「私さがし」「自分らしさ」「夢」「希望」「ユニーク」「世界にひとつだけの花」「官から民へ」「改革なくして○○なし」「地球温暖化」といった言葉がいくら唱えられたって、それらはたいてい嘘、虚言、空語、メディア語の類いだから、そこから有意味な物語が生まれることはありえません。更にいえば、最近の日本政府の性格はかぎりなくトヨタ政権に近いというような事実認識さえ生まれません。こうして「社会はどうなっていけばいいのかという問題」への通路は閉ざされる。これがいま私たちの置かれている状況です。

◇必要なことは常識すなわちコモンセンスを取り戻すことです。まず大人たちがついひと昔前まで常識としていた思考の枠組みを取り戻すこと。そうすれば「塗りつぶされたような無」は消えていくはずです。しかしどうやって?問題はここにあります。ついひと昔前まで流通していた常識といったって決してイノセントではないのですから。だから民主党支持から共産党支持に鞍替えすれば済むことでもありません。問題は人間の世界建設能力=革命能力にかかわることです。従って詩作にもかかわることです。吉本隆明の次の著作が待たれる所以ですが、果たしてどういう展開または転回をみせるのか。期待されます。




新着ガイド〔今週のおすすめ/番外〕

◇シューベルトの連弾曲、ジャーニーメン、等々 (2008/02/21)

◇クラシックの中古CD全50点、それにポップス/ロックの中古CD全60点が新着なりました。目玉は多々あります。というか目玉でないようなものはひとつもないといったほうが正確かもしれません。とはいいましても何からご紹介しようかと考えると、やっぱりヤーラ・タールとアンドレアス・グロートホイゼンによるシューベルトの4手連弾曲から始めたいと思います。全部で4点(枚数にして7枚)ありますし。

◇ご存知の方もおられると思いますが、吉田秀和氏はシューベルトの4手連弾のための「幻想曲D940」(目録番号CC 3217収録)について次のように書いています。「この曲をまだきいたことのない人は仕合わせだ。その人にはまだ1曲、至福の想いを与える音楽にはじめて出会う幸福が待っているのだから」(「シューベルトのピアノ・ソナタ」)。

◇それに続けて次のように述べています。「これは、人生の真実だけがもつペーソスと、虚飾の全くない単純さとーーそれは素朴というのとはまるでちがうーーだけで書かれたものである。シューベルトは、こんなに単純であって、しかも自分の天才を裏切らない至高の作品を書くという、まれにみる才能をもって生まれた芸術家であった」(同)と。

◇いかがですか。この文章全部を読みたくなったのではありませんか?そういう方は『吉田秀和全集・2』(白水社)をおもとめください。当店の音楽書コーナーにも在庫があります(目録番号ON 0095)。ただし当店の分はペンによる線引があります。その点ご了承ください。ついでに申し上げますと、ここに紹介した吉田秀和氏の文章はバドゥラ=スコダとイェルク・デームスのレコードに触れて書かれたものです。当店にはそのスコダ&デームス盤の在庫もあります(目録番号CL 0096)。LPレコードですけど。

◇話をタール&グロートホイゼン盤に戻しますと、これこそ現代の決定盤というべきでしょう。1台のピアノを2人で弾くというのはどういうことなのか、当方には想像がつきにくいのですが、ひとついえることは1人で弾く場合とは比べようがないぐらい「個≒私の制限」が求められるということでしょう。それを踏まえて作曲家が書いた音楽を立ち上がらせること。その点でこの男女のコンビは文句のつけようがありません。お聴きになればお分かりいただけます。『レコ芸』でもすべて特選になっていたと記憶しております。ソナタの構成的な美しさとは異なるシューベルトの親密な音楽世界をぜひ聴いていただきたい。

◇シューベルトではほかにタルヴェラの「冬の旅」、インマゼールほかのピアノ3重奏曲集、パユのフルート作品集、マーガレット・プライスの歌曲集、シュタイアーの後期ピアノ・ソナタ集、ハノーヴァー・バンドの交響曲全集などがあります。シューベルトのピアノ3重奏曲第2番D929は、4手連弾のための幻想曲D940にも勝る超名曲です。インマゼールたちの演奏は1935年のブッシュ・トリオ盤(目録番号CL 0117)には及ばないにしても、古楽器による演奏としては定番といえるでしょう。マーガレット・プライスの歌曲集は数あるシューベルト歌曲集のなかでも特別の1枚といえます。パユ(fl)盤も素晴らしいものですが。

◇あと目につくのはシューマン、ブラームス、リストの歌曲集でしょう。シューマンはシュトゥッツマン、ブラームスはリポヴシェク、ノーマン、シュトゥッツマン、オッター、そしてリストはファスベンダーです。いずれも低めの女声による名盤です。ピノックのバッハも全部で4点ありますし、グリュミオー、加藤知子、シェリング、シゲティ、前橋汀子による無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(バッハ)、堤剛による無伴奏チェロ組曲(同)もあります。どれをとっても定評のある全曲盤です。

◇レーゼルのベートーヴェン、ヘブラーの2回目のモーツァルト、バレンボイムのメンデルスゾーン、ナージャのバーバー&ショスタコーヴィチ、カプスベルガーのリュート作品2点、ロカテッリの2点、ホプキンソン・スミスのヴァイス、バードのヴァージナル曲、パーセル・カルテットによるヴィヴァルディの室内楽などもお忘れなく。ちなみにアカデミー室内アンサンブルによるヘンデルの9枚組室内楽セットの演奏者は、ミカラ・ペトリ、アイオナ・ブラウン、ジョージ・マルコム、ウィリアム・ベネットなどです。

◇ポップス/ロックに移りますと、こちらは現在のポップ・ミュージックの出発点、あるいは基本として位置づけられるアルバムが揃っています。フォーク・ソングのアルバムがいろいろ目につきますが、まずジャーニーメンから行きます。ご存知ですか?ジャーニーメン。ママス&パパスのリーダー、ジョン・フィリップスと、67年夏の大ヒット「花のサンフランシスコ」のスコット・マッケンジーが在籍したフォーク・ソングの3人組。下にジャケットを載せましたが、手前がスコット・マッケンジー、左奥がジョン・フィリップスです。ご覧の通り髪は普通にカットしてひげも生やしておりません。

◇ビートルズ登場以降の60年代のアメリカン・ポップ・ミュージックは、ボブ・ディラン、バーズ、ママス&パパスらのフォーク・ロックによって反撃ののろしを上げたともいえるわけですが、その原型をジャーニーメンの音楽に聴くことができます。フォーク・ソング・リヴァイヴァル時代の62〜63年のものですからロックンロールでもロックでもありません。しかし20世紀後半のアメリカを代表する最強最高のコーラス・グループといっても過言ではないママス&パパスの原型がここにあります。ピーター・ポール&マリーのような完成された音楽とはちがう進化の可能性を秘めた音楽。楽曲がまたなんとも魅力的です。

◇フォーク・ソングではあと、ウッディ・ガスリー、ピート・シーガー、フィル・オークス、フレッド・ニール、ティム・ハーディン、ジョーン・バエズ(2点)、ジュディ・コリンズ、ルーフトップ・シンガーズ、ハイウェイメン、キングトン・トリオ、ブラザース・フォー、PPM(全5点)などがあります。

◇フォーク・ソング以外では、R&B系のゼム、ヴァン・モリソン、ヤードバーズ、ジェントリーズ、ポール・リヴィア&ザ・レイダース、サイケデリック・ロック系のエレクトリック・プルーンズ、ブルース・マグース、ムーヴ、ハーモニー・ポップ系のハーパース・ビザール、ハプニングス、ヴォーグス、ホリーズ、ビーチ・ボーイズ、オールディーズ系ではディオン(2点)、エヴァリー・ブラザース(2点)、ファッツ・ドミノ、ボ・ディドリー、ボビー・ヴィー、ポール・アンカなど、比較的新しいところではポール・マッカートニーの5点などがあります。60'sのコンピレーションが3点ありますが、いずれもお買い得のセットといえます。

◇ほかにもまだたくさんあります。ごゆるりとご閲覧ください。





新着ガイド〔今週のおすすめ/番外〕

◇ボブ・マーリー、ウータン、仁侠映画など (2008/02/06)

◇レゲエの中古CD、ヒップホップの中古CD、それに映画の中古DVDが新着なりました。レゲエとヒップホップは当店としては初の新着となります。ですから少しコメントさせていただきます。

◇とはいいましても、レゲエのボブ・マーリーはあまりにもよく知られたスーパースターです。第三世界が送り出した最大のスターといっても過言ではないでしょう。そのボブ・マーリーのアルバムが全部で15点あります。では、何から聴くのがいいかといいますと、やはり初期のものからというのが「正しい」と思います。

◇この「正しい」という意味は、例えばポール・マッカートニーを聴くんだったら、「ジェット」や「バンド・オン・ザ・ラン」からではなく、ビートルズ時代の「オール・マイ・ラビング」や「シーズ・ア・ウーマン」から聴くのが「正しい」というのと同様の意味です。ビートルズ時代とはいっても「ヘイ・ジュード」や「レット・イット・ビー」から聴くのは「正しい」とはいえないでしょう。

◇ちなみにボブ・マーリーが生まれたのは1945年ですからポールより3つ年下になります。そのボブ・マーリーの最初の名曲は"One Love"(目録番号RC 0029)に収録されている'Simmer Down'(1963)です。当時ボブ・マーリーは17、8歳だったわけですから、やっぱり天才は恐ろしい。その頃まだアメリカ・デビューしていなかったビートルズのポールがそれを聴いたら仰天したに違いありません。

◇続く'I Am Going Home'、'Do You Remember'、'Mr. Talkative'なども決定的な名曲です。ポール・マッカートニーでいえば「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」や「アイル・フォロー・ザ・サン」クラスの名曲といえます。ボブ・マーリーが世界的なスターになるのはIslandからアルバム『キャッチ・ア・ファイア』をリリースして以降ですが、勢いという意味では60年代前半のボブ・マーリーが断然素晴らしい。

◇しかし70年以降ビートルズのメンバーやボブ・ディランが決定的な新機軸を打ち出せなかったことに比べると、73年に始まるメジャーなフィールドでのボブ・マーリーの進撃は素晴らしいものでした。それは音楽に表われた第三世界の爆発とでもいうべきものでした。Island時代のボブ・マーリーの最高傑作は『サヴァイヴァル』(1979、目録番号RC 0011)でしょう。「ワン・ドロップ」以下超名曲てんこ盛りです。しかしボブ・マーリーはそのわずか2年後に癌で死んでしまいます。享年36歳。モーツァルトとほぼ同じ。

◇ボブ・マーリー以外では、カールトン&ザ・シューズの2点、ジャズ・ジャマイカの2点、エディ・タンタン・ソーントン、メイタルズ、ラス・マイケル、ジャネット・ケイ、Burning Spear、Abyssinians、Rico、イギリスTrojanのすべてのアルバム、アメリカHeartbeatからのStudio One音源のコンピレーション、Joe Gibbs音源の2点など。要するに今回の目録にあるものはおすすめしたいものばかりです。

◇同じことがヒップホップにもいえます。ヒップホップがギャングスタ・ミュージックとして最高の輝きをみせたのは80年代末から90年代後半頃にかけてであったと思われますが、その時代の代表的なアルバムが並んでいます。ウータン、N.W.A(Nigger with Attitude)をはじめ、KRSワン、フージーズ、ジェルー・ザ・ダメージャ、モブ・ディープ、ギャング・スター、ナス、イージー・E、トゥー・パックなどなど。

◇最後が映画のDVDです。邦画は「昭和残侠伝」ほかの東映仁侠映画以下、木下恵介の2本、「墨東奇譚」、「吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界」など。洋画は廉価DVDが中心ですが、フランク・キャプラ以下、ヒッチコック、ハワード・ホークス、ジョン・フォード、ラウール・ウォルシュ、オーソン・ウェルズ、レオ・マッケリー、エリア・カザン、エルンスト・ルビッチ、ジャン・ルノワール、ルネ・クレール、ルネ・クレマンなどなど。ゲイリー・クーパー、キャサリン・ヘプバーン以下往年の大スターたちの名作がいっぱい。

◇どうぞごゆるりとご閲覧ください。



今週のおすすめ〔15〕〔14〕〔13〕〔12〕〔11〕へ


トップページへ戻る