21世紀音楽展望(3)

◆桑田佳祐の最新ベスト盤のことなど   


◆まずお断りしておきますと、当方これまで桑田佳祐やサザンオールスターズの熱心な聴き手であったことは一度もありません。彼らの初期のヒット曲である「勝手にシンドバッド」(1978)、「いとしのエリー」(1979)、「C調言葉に御用心」(同)等を初めて聴いたのがもう20代の後半でしたし、その当時全盛時代に入りつつあったユーミン(松任谷由実)や中島みゆきの音楽に比べるとインパクトの点でずっと弱いという風な印象を持っておりました。あの「成り上がり」の矢沢永吉に比べても弱いと感じておりました。従って、90年の『SOUTHERN ALL STARS』まで何枚かのアルバムを買ってはおりましたが、「日本語の使い方がなかなか面白いな」といった月並みな印象以上に、音楽として感心させられたという記憶はありません。どうも彼らは「ロックという価値観」というようなものにとらわれ過ぎているのではないか、というような感じだけは持っていたように思います。

◆彼らが決定的に「気になる存在」になったのはなんと言っても「TSUNAMI」(2000)を聴いてからのことです。そして「HOTEL PACIFIC」(同)、「この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜」(同)、桑田佳祐名義の「波乗りジョニー」(2001)、「白い恋人達」(同)、そして全盛時代の矢沢永吉を思わせる「東京」(2002)という具合にヒット曲が続くわけですが、これらは全ていまのこの時代に相応しい極め付けの名曲であると言うことが出来ます。だからここでは「TSUNAMI」以降のサザンと桑田佳祐がテーマになります。それ以前の彼らについては当方がほとんど無知であるために何も語ることが出来ないということです。当方の勝手な思い込みによれば、彼らは「TSUNAMI」によって「大化け」したという風になります。20年以上のキャリアを持つ彼らに対して失礼だとは思いますが、これが当方が桑田佳祐やサザンについて考える初めての試みになるわけですから、まずはご容赦いただきたいと思います。

◆とは言ってもいくらなんでも最低限の知識は必要だろうと考えまして、サザンの初期のヒット曲を含む(「TSUNAMI」の線でまとめた『バラッド3』のひとつ前の)ベスト盤『海のYeah!!』(1998)と、つい最近出たと思われる『別冊カドカワ(総力特集・桑田佳祐)』(角川書店)を買って来ました。後者は猛烈にエキサイティングな読み物でした。とりわけ巻頭の桑田佳祐へのインタビューにおける桑田の発言は、この人の音楽(性)というものをほとんど完璧に語り尽くしているように思いました。桑田佳祐についてこれまで持っていた漠然とした印象を桑田自身がここまではっきりと裏付けてくれているのなら、こちらとしてはもう何も言うことはないのではないかとさえ思いました。しかしこういうポップ・ミュージシャンが日本に存在していることの意味について考えてみることはまったく無駄ではないだろうと思い直しまして、以下主としてそうした角度から桑田とサザンの音楽について考えてみたいと思います。

◆上にサザンの音楽について、ユーミンたちの音楽と比べてインパクトが弱いと感じていたと書きましたが、そのことに関連して桑田自身が次のように語っております。「突き詰めていくとね。趣味かなぁ、と。それでいいじゃん、とね。レノンとか、ディランとか、あと松尾和子さんとか、尾崎紀世彦さんとか、彼らから模倣することは喜びですよ。強引ですけど、それが自分のポップスなんじゃないかと思いますよ。あとGSとかね。・・・ だから「俺の音楽性を聴いてくれ」というのは、はなはだ恥ずかしいんだよね。自分のおもちゃ箱の中には、一杯フィギュアが、音楽のフィギュアが入っているわけでね。それこそレノンもショーケンも。それを人に見せて「行き様です」とは言いにくいんだけど、でも、それが美学でもあるんですね」と(前掲『別冊カドカワ』P.17)。桑田はこういう考えをいまの考えであるかのような言い方をしておりますが、それはファンに対する一種の「サービス」のようなもので、ここに語られていることが桑田とサザンの音楽の「本質」であることは間違いない。

◆恐らくこのことは桑田佳祐とサザンの音楽に多少とも関心を持ったことのある人なら、「誰でも知っていること」ではないかと思います。こういう「自己認識」を持つことは、桑田のように批評意識の強い人の場合には難しいことではないと思いますが、そういう自己認識を踏まえて創作活動を続けるということは易しいことではない。桑田ひとりの場合ならともかく、サザンはいちおうグループなのですから。それに聴き手が彼らに求めるものは、ビートルズやビーチ・ボーイズやGSのコピーではないオリジナルな「サザンの音楽」であるわけですから。しかしもっと根本的には、そういう趣味的でマニアックな音楽が一般のメジャーな音楽市場で受け入れられるかどうか、ということがあったはずです。彼らの音楽は現に受け入れられ続けて来たわけですが、その受け入れられ方が一皮むけて抵抗感のない無条件的なあり方に変わったのは、やはり2000年の「TSUNAMI」によってだったような気がします。

◆この受け入れられ方の劇的な転換というものは、前回の「21世紀音楽展望(2)」「J-POPレビュー(3)」やディキシー・チックスの"HOME"について述べた「カントリー・レビュー(3)」等で簡単に触れた(示唆した)「世紀の転換」ということに深く関わって来るはずですが、それについて述べるのは後にして、彼らの音楽についてインパクトが弱いと感じていたという話に戻りますと、それは、こうした桑田佳祐の「自己認識」が彼らの音楽の表層にいつもつきまとっていたように感じられた、ということにほかなりません。つまり、彼らの音楽はいつもどこか「冗談音楽」や「パロディー音楽」のような顔つきをしていた、ということです。それどころか、「クリといつまでも」だの「女呼んでブギ」だの「I Am A Panty」だの「マイ・フェラ・レディ」だのといった彼ら特有の「不埒な」タイトルの曲をシリアスな顔をして気合いを入れて聴くなんてことはそもそも出来ないわけです。つまりそうした聴き方に背を向けて来たのは彼らの方なのであって、それをユーミンや中島みゆきと同じ次元で聴けば当然「なんだこりゃ?!」となるわけです。

◆しかしそうした桑田佳祐とサザンの音楽のあり方も「TSUNAMI」によって一変してしまったように思うわけです。最近出た桑田名義のベスト盤『TOP OF THE POPS』にしても、その少し前に出たオリジナル・アルバム『ROCK AND ROLL HERO』にしても、21世紀初頭を飾るに相応しい名作であると言うことが出来ます。こういう言い方をすると誤解を招く恐れもありそうですが、なんだか時代の方が桑田佳祐に追いついたといったような感慨さえあります。と言うのも、初めて聴いた当時は「不埒な」音楽の代表のように感じられた「スキップ・ビート」(1986)にしても、いま聴くと途方もなく大きな名曲に聴こえるからです。やっぱり桑田とサザンにはそれに相応しい聴き方があったはずで、当方などはそれが分からずに「インパクトが弱い」などと感じていたということです。こう言うからといってそのことを悔やんでいるわけではなく、「TSUNAMI」以下のヒット曲によって、「時代の転換」という決定的な局面で桑田とサザンに「追いついた」ことにホッとし、また感動もしているということです。

◆それにしても「世紀の転換」とか「時代の転換」とはどういった事態なのだろうか。それについて触れる前にもうひとつ言っておきたいのは、「TSUNAMI」以降の桑田とサザンの音楽から「冗談音楽」や「パロディー音楽」といった様相が後退して、代わって「光るもの」(松任谷正隆)に満ち溢れていた60年代の偉大な音楽への「参照」や「引用」といったものが前面に出て来たことです。そうしたあり方がはっきりと聴かれるのが、例えばサザンの「この青い空、みどり〜BLUE IN GREEN〜」(2000)であり、桑田の「夏の日の少年」(2002)であるわけです。この2曲の曲想とサウンドは1965〜66年のボブ・ディランやバーズのフォーク・ロック以外のなにものでもありません。しかも「この青い空・・・」は次のような歌詞で歌われます。「暗いビルの谷間に揺れ咲いた/花に胸が痛むなら、Woh.../過去を憂い嗚呼世代を超えて/人間の夢は叶うだろう・・・(略)・・・Ah、今の今まで雨は強引ぎみなAction/物質に癒された人生は暗い/傘もささずに濡れた少年の日にReflection/現在は亡き友達の顔/New stage for all the people./時代の流れの真ん中で/One dream creates tomorrow./夢を叶えて・・・/花を咲かせて・・・/青い御空の下」。

◆ここには桑田佳祐特有の一風変わった「語法」は相変わらず見られるものの、「ジョーク」や「パロディー」の痕跡はまったく見られません。つまりこういうことだろうと思うわけです。「TSUNAMI」によって桑田とサザンの音楽に時代が追いついたというだけでなく、桑田たちの音楽も「時代の転換」とともに変わったのだ、と。勿論桑田にはそういう認識はないのかもしれません。前掲『月刊カドカワ』には桑田の次のような発言もあります。「ヤジロベエ、なんじゃないかな。過激なものもポップなものも両端にあって、そしてその真ん中もある、みたいなことじゃないですかね。どっちに振れても、支えている場所、それはひとつだっていうのが分かったというかね。でも、どっちに傾きすぎても、結局は自家中毒するのだとしたら、やってみて終わったことは、忘れることでしょうね(笑)。・・・ だから人間にとって、時の流れは偉大であり、都合いいものなんだなぁとも思うしね」(P.19)。上に引いた発言といいこれといい桑田からは真の「知性」というものが感じられますが、桑田自身の認識はともかくとして、このかんの一連のヒット曲、そして『TOP OF THE POPS』、『ROCK AND ROLL HERO』、サザンの『バラッド3〜the album of LOVE〜』(2000)を聴けば確かに彼らの音楽は「変わった」と言える(多分それは「TSUNAMI」のかなり前からだったと想像されますが、それについてはまた機会を改めて)。

◆さて以上を踏まえて「本論」に入って行かなければならないわけですが、そしてそれは当然《「世紀の転換」と桑田/サザンの音楽》というテーマになるわけですが、しかしそれはまた「21世紀音楽展望」と題された当ページ全体のテーマでもあるわけです。従いまして、ここではアウトラインを描くことが出来ればそれで良しとさせていただこうと思います。しかも「世紀の転換」や「時代の転換」を桑田とサザンの音楽とのからみで考えていかなくてはならないわけだから簡単ではありませんが、しかし結局このテーマは《「ユートピア的共同性」と「公共性」》といったものになるはずだから、桑田とサザンの音楽は切り口としては最高の素材であるはずなのです。

◆アメリカは21世紀に突入した途端にあの9.11の「おかげ」で「敵」に立ち向かう戦争モードに入ることが出来て、誠に羨ましいかぎりですが(それを批判してばかりいる日本のアホ・マスコミとその同伴者どもはどうにかならんのかね。ディキシー・チックスの"HOME"を聴かせてやりたいね。アメリカのグラスルーツの「覚悟」を知るべきだ)、ここ日本では「迫り来る未曾有の経済危機」を前にして茫然自失という状態がずっと続いております。しかもなんだかこの「経済危機」を前にして、予知しえない恐るべき自然災害に対するような仕方で怯えながらただそれを見ているような感があります(しかもこの傾向はだんだん強くなって来ている)。言うまでもなく「経済危機」は社会的・人間的な現象であり、われわれがそれに立ち向かって戦うのでないかぎり「解決」することはありません(「神風」でも吹かないかぎりは・・・。まあ現実には「自然治癒」とか、時間や偶然が「解決」してくれるいうことも確かにありますけどね)。

◆これがわれわれが目にしている21世紀初頭の日本の「風景」です。勿論われわれはただ怯えているだけの馬鹿でも根っからの弱虫でもないから、かなりの程度必死になって戦いの「武器」を捜してもいるわけです。そしてこの戦いはひとりでは出来ないわけだから、われわれ自身のこれまでのあり方・生き方にも目を向け始めてもおります。ここから「構造改革」に飛びついたりといったようなことが起きたりもするわけですが、結局は日本の「戦後」のあり方そのものに決着をつけるというところに行き着くだろうと思います。当然これは日本における「公共性」の立ち上げということにつながって行くはずです。この「公共性」の立上げということは国家への同一化ということと無関係ではありませんが、本質的にはまったく別のことで、あくまでもそれはわれわれ自身が名実ともに社会と国家の「主権者」になるということです。明治〜戦前の日本は結局それに「失敗」しましたが、目が眩むほどの「栄光」につつまれたこともありました(レーニンをして「文化的で自由な国」と言わしめたこともあります)。「失敗」を恐れていたらなんにも出来ないということです。

◆先に述べた「世紀の転換」とか「時代の転換」というのは、こうしたある方向性を持った日本の現状のことです。しかし考えてみればここに書いて来たようなことは既に桑田佳祐が「ROCK AND ROLL HERO」の中で歌っております。「Ah, 華やかなりしあの頃の/円で勝つ夢はMelt away./後は修羅場だ/泡のようにすべてが消えた・・・Oh/満身創痍でUp UpしそうなくらいI nearly die./"人災列島"に夜明けは来ないNever never...again./いっさいがっさいShock Shock世相は暗いアホみたい・・・(略)・・・青春の同志よ沈黙は愛じゃない」と。「"人災列島"に夜明けは来ない」というフレーズがたまりませんね。なんて頭とセンスがいいんだろうね、桑田佳祐ってヤツは。

◆もちろん「ROCK AND ROLL HERO」は桑田としては例外的な「ファン・サービス」みたいなもので、桑田とサザンが「TSUNAMI」以来(先にも述べたように本当はそれよりもかなり前からだったんだろうが)の音楽でやろうとしていることは、「公共性」への媒介として、われわれの「ユートピア的共同性」への志向へと呼びかけて、これを目覚めさせるということです。「TSUNAMI」が空前の特大ヒットになったのは、われわれもまたそれに気がついたからにほかなりません。

◆今回はこれでオシマイ。桑田佳祐は異常に頭がいい人らしいから、その音楽について考えたりするよりも、歌詞も含めてしっかり聴いた方がずっとためになるみたいです。ユーミンは巨大な無意識をかかえた天才だから、(ユーミン自身の意図を超えて)その音楽について考えることに大きな意味があるのとは対照的です(それにユーミンは駄作においても必ず「なにかを言って」いる)。ついでに言っておきますと、桑田佳祐は当方より5つ年下、ユーミンは3つ年下です。

【2002/11/30 OT生】
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