管理人のつぶやき(15)


2007/06/25 小津安二郎『東京物語』の紀子(2)

◇前回は主に中村明の『小津の魔法つかい』(明治書院)の記述に即しながら、小津安二郎の映画『東京物語』の主要登場人物のひとりである紀子(原節子)の「決定」について考えてみたのだが、それで紀子の「決定」の中味が明らかになったわけではないし、紀子という実存のあり方が理解されたわけでもない。明らかになったことがあるとすれば、戦地で死んだと思われる夫平山昌二の思い出とともに生きてゆこうとしながらも、「このままこうしてひとりでいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふと夜中に考えたりすることがある」こと、「一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂し」く感じられること、つまりは「どこか心の隅で何かを待っている」と考えないわけにはいかないこと、要するに自分は「ずるい」人間であり、義父と義母のいたわりや思いやりには値しない恥ずべき偽善者であると考えていること、これである。

◇それは言葉で語られた紀子の自己認識なのだが、それに対する義父平山周吉の答えは「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で」というものであった。そうしたやりとりのあとで、周吉は死んだ亡妻の時計を形見分けとして紀子に渡すのだが、周吉としてはそれはもとから考えていたことであったにしても、紀子の告白を聞くことがなければ、「あんたに使うて貰やあ、お母さんもきっとよろこぶ」という言葉は出てこなかったようにも思える。周吉のこの行為について、「周吉の親切はもっともであるが、これは紀子を平山の家に縛る残酷な行為であった」という解釈があるが(中澤千磨夫『小津安二郎・生きる哀しみ』PHP新書P.207)、果たしてそうなのだろうか? また、「彼(周吉)は、まるで紀子が家を出ていく未婚の娘であるかのように、彼女にとみ(周吉の亡妻)の形見の時計をやり、事実上の別れを告げる」という見方もあるが(デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎・映像の詩学』青土社P.533)、どっちの解釈が正しいのだろうか?

◇形見の品やお守りに決定的な意味を持たせた映画としては、ハワード・ホークスの『赤い河』(1948年)やマーヴィン・ルロイの『哀愁』(1940年)などがあるが、小津のこの『東京物語』もそのひとつに挙げられる。原節子の紀子は東京へ帰る汽車のなかで形見の時計を取り出して、蓋を開けて(それは懐中時計だから)文字盤を見たあと、両手で上下に包み込む。そして残響をひく汽車の汽笛とともに紀子の最後の映像が閉じられる。この場面は『東京物語』のなかでも最も美しい場面であると思うが、両手で義母の形見の時計を包み込む原節子の仕草はどういうことを意味しているのだろうか? それは紀子の「決定」ということと関係があるのだろうか? もちろんあるに違いないのだが、その前に紀子の最後の場面のカットが、周吉が見ているらしい尾道水道の映像が船の汽笛とともに終わることに対応していることを指摘しておきたい。小津映画のファンには改めていうまでもないことだが、尾道水道の映像が閉じられるとともに映画自体も終わる。

◇上に挙げたマーヴィン・ルロイの『哀愁』は、大佐として第二次大戦に出征するロバート・テイラーが、ロンドンのウォータールー橋に立って死んだ婚約者(ヴィヴィアン・リー)の形見のお守りを取り出す場面から始まる。それを意識しているかのように、『東京物語』の紀子の物語は形見の時計を両手で包み込む場面で終わるのだが、始まりと終わりの対称、男と女の対称、戦争に絡んだ婚約者と配偶者の死の対称という風に見ていくと、小津が『哀愁』を意識していた可能性は高いと思う。いずれにしても、そこで紀子は形見につながる平山家の嫁として生きること、死んだ義母や亡夫とともに生きることを改めて誓っているように思われる。その場面の原節子の紀子はことさら思いつめた表情をしているわけではないが、「決定」を自明とした顔を見せていることは間違いない。そう考えれば、両手で義母の形見の時計を包み込む原節子の仕草の意味するところは明らかだろう。それは義父の「親切」で「残酷」な行為を、自分の「決定」に結びつける仕草にほかならない。

◇紀子の「決定」は最後の場面に見られるだけではない。紀子は最初から「決定」を体現する人物として登場する。それは原節子の紀子がこの映画に出てきてすぐに交わされる次のようなやりとりにも見られる。周吉「やっぱり前の会社にお勤めか?」/紀子「はあ」/とみ「あんたもひとりで大変じゃのう」/紀子「いいえ」/・・・・/とみ「やっぱり長生きはするもんじゃのう」/紀子「でもお父さまお母さま、ちっともお変わりになりませんわ」/とみ「変わりゃんしたよ。すっかりもう年とってしもうてのう」。これは周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が、堀切にある長男幸一(山村聡)の家へやってきたあと、遅れて参上した原節子の紀子とのあいだで交わす会話なのだが、「やっぱり前の会社に」とか「あんたもひとりで」といった言葉は、紀子が「変わらない」人間であることを前提にいわれている。紀子は最初から「決定」人間であるがゆえに変わりようがないのだ。周吉ととみはそのような紀子を「出来すぎた嫁」と見ているようだが、それが紀子には面映くもあり、負担に感じられもするようだ。そういうこともあって「はあ」とか「いいえ」といういい方がされているように思われる。

◇また、周吉ととみが熱海から東京の志げ(杉村春子、周吉夫婦の長女)の家へ帰ってきたあと、一晩紀子のアパートに泊まることになったとみと紀子が交わす次のような会話。とみ「なあ紀さん・・・・気を悪うされると困るんじゃけえど・・・・昌二のう、死んでからもう8年にもなるのに、あんたがまだああして写真なんか飾っとるのを見ると、わたしはなんやらあんたが気の毒で」/紀子「どうしてなんですの?」/とみ「でも、あんたまだ若いんじゃし」/紀子「もう若かありませんわ」/とみ「いいえ、ほんとうよ。わたしはあんたにすまん思うて。時々お父さんとも話すんじゃけえど、ええ人があったら、あんた、いつでも気兼ねなしにお嫁に行ってくださいよ。・・・・ほんとうよ。そうして貰わんと、わたしらもほんとにつらいんじゃけえ」/紀子「じゃ、いいとこがありましたら」/とみ「あるよ。ありますとも。あんたならきっとありまさあ」/紀子「そうでしょうか」/とみ「あんたには苦労のさせ通しで、このままじゃ、わたしはすまんすまん思うて」/紀子「いいえ、お母さま、あたし勝手にこうしてますの」/とみ「でもあんた、それじゃあんまりのう」/紀子「いいえ、いいんですの。あたし、この方が気楽なんですの」/とみ「でもなあ、今はそうでも、だんだん年でもとってくると、やっぱり一人じゃ寂しいけんのう」/紀子「いいんです。あたし年とらないことに決めてますから」/とみ「ええ人じゃのう、あんたは」。

◇この会話は紀子と周吉の最後の会話に比べると、かなりよそ行きなところがある。しかし紀子が本音を語っていることは間違いない。同じ原節子が演じた『秋日和』(昭和35年)の三輪秋子が、娘のアヤ子(司葉子)に向かって「いまさらまたもう一度、麓から山に登るなんて、もうこりごり」といい、これもまた原節子が演じた『小早川家の秋』(昭和36年)の小早川秋子が、義理の妹の紀子(司葉子)に向かって「あたしはこれでいいのよ。このままよ。稔(秋子の息子)もだんだん大きくなってくし、あの子のためにもこのままが一番いいと思うの」と語っているのを思い起こさせる。しかし、『東京物語』の平山紀子はのちの二人の秋子に比べるとはるかに若い。物語の上では28歳なのだ(原節子は当時33歳)。しかも『東京物語』の紀子には子供もいない。だからであろうが、小津は上の会話のあとに素晴らしい映像を用意している。それは原節子の紀子が「おやすみなさい」といって電気を消したあと、横になった原節子の横顔を右側から撮ったショットなのだが、恐ろしくなまめかしい原節子の表情にはっとさせられる。紀子が周吉に向かっていう「一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです」というセリフを予告しているのがこのショットだったのだということが、あとで分かる。

◇このショットは「まだ若い」紀子にとって「決定」が一義的でも必然的でもないことを物語っている。もちろん定義からして「決定」は絶対に一義的ではないし、逆にそれは必然性を突き抜ける出来事なのだが、そのことはとみの葬儀が終わると「いいたいことだけいうて、さっさと帰って」しまった実の姉(杉村春子)や兄たち(山村聡、大坂志郎)を非難する末娘の京子(香川京子)をなだめ、すかすのがほかならぬ紀子であるということからも理解されるだろう。紀子「そりゃ仕様がないのよ。お仕事があるんだから」/京子「だったらお姉さんでもあるじゃありませんか。自分勝手なんよ」/紀子「でもねえ京子さん」/京子「ううん、お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持考えたら、とても悲しうなったわ。他人同士でももっと温いわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」/紀子「だけどねえ京子さん、あたしもあなたくらいの時には、そう思ってたのよ。でも子供って、大きくなるとだんだん親から離れていくもんじゃないかしら? お姉さまぐらいの年になると、もうお父さまやお母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お姉さまだって、決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ・・・・みんなそうなってくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」/京子「じゃ、お姉さんも?」/紀子「ええ、なりたかないけど、やっぱりそうなってくわよ」/京子「いやあねえ、世の中って」/紀子「そう。いやなことばっかり」。

◇デヴィッド・ボードウェルが述べているように、紀子はここで「人生は幻滅することだ」ということを語っているのだろうか? 言葉の上ではたしかにそういうことをいっている。しかしこの会話は、京子が小学校へ出勤(京子は小学校の先生である)していったあとの紀子と周吉の最後の会話の前段として理解されることで決定的なものとなる。上にも述べたように、紀子は最初から「決定」を体現する人物として登場しているのだが、それは紀子の現在と将来(未来ではない)が直線で結ばれていることを意味しない。まったく逆であって、紀子の「決定」はその都度なされる。紀子が常に周吉やとみから「ええ人」といわれることから逃れ否定しようとするのは、そのことと関係があるはずだ。とみは紀子という存在を理解する前に死んでしまったようだが、どうやら周吉だけはそうした紀子のあり方を最終的に理解したように思われる。周吉は市の教育課長をしていたぐらいだから、正直で責任意識が強いだけではない紀子の不安のなかの「決定」を理解するぐらいの知性は持っている。それゆえ周吉は紀子に「残酷」ともいえる形見分けをしたと思われるのだが、紀子の「決定」を理解しているかぎりではそれは「残酷」とはいえない。同じように、「家を出ていく未婚の娘であるかのように」というデヴィッド・ボードウェルの解釈も必ずしも的外れではない。しかし老いた男やもめとなった周吉からすれば、孤独と亡妻の思い出を分かち合うことができる唯一の同輩という連帯意識の方が強いように思われるが。


2007/06/20 小津安二郎『東京物語』の紀子(1)

◇昭和28年11月に公開された小津安二郎の映画『東京物語』の最も美しい場面のひとつは、急死した義母(東山千栄子)の葬儀が済んだあと、最後まで尾道に残っていた戦死した次男の嫁紀子(原節子)が、義父の平山周吉(笠智衆)と次のようなやりとりをする場面だろう。

◇紀子「・・・・わたくし、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません。お父さまにまでそんな風に思っていただいてたら、わたくしの方こそ却って心苦しくって」/周吉「いやァ、そんなこたあない」/紀子「いいえ、そうなんです。わたくし、ずるいんです。お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、そういつもいつも昌二さん(戦死した周吉の次男で紀子の亡夫)のことばかり考えているわけじゃありません」/周吉「ええんじゃよ、忘れてくれて」/紀子「でもこのごろ、思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうしてひとりでいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待っているんです。ずるいんです」/周吉「いやァ、ずるうはない」/紀子「いいえ、ずるいんです。そういうこと、お母さまには申し上げられなかったんです」/周吉「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で」/紀子「とんでもない」。

◇そのあと周吉は近くの引出しから懐中時計を取り出す。周吉「これァお母さんの時計じゃけどなあ、いまじゃこんなもの流行るまいが、お母さんがちょうどあんたぐらいの時から持っとんたんじゃ。形見に貰うてやっておくれ」/紀子「でも、そんな」/周吉「ええんじゃよ、貰うといておくれ。あんたに使うて貰やあ、お母さんもきっとよろこぶ。なあ、貰うてやっておくれ」/紀子「すいません」/周吉「いやァ、お父さん、ほんとにあんたが気兼ねのう、先々幸せになってくれることを祈っとるよ。ほんとじゃよ。・・・・妙なもんじゃ、自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。いやァ、ありがとう」。

◇以上は小津映画のファンなら誰でも知っているあまりにも有名なやりとりなのだが、今回引用してみて原節子が「ずるい」という言葉を3度も繰り返していることを知った。なぜ小津は原節子の紀子に「ずるい」を3度もいわせたのか? もちろんそれはその言葉が『東京物語』のキーワードであると考えたからに違いないのだが、どうして小津はそのように考えたのか? そのことについて最近読んだ中村明(日本語学者)の『小津の魔法つかい』(明治書院)は次のように述べている。「ことばの粋(いき)をつくりだしてきたシャイな小津が、潔癖を旨として生きる紀子役の口を借りて、ふともらした本音だったかもしれない。こういう小津映画らしくないある種の"ほころび"が、観客に衝撃を与える。その事実は動かせない」(P.209)と。

◇ここにいわれる「本音」というのは、戦後8年しかたっていないのに、小津を含む日本人が戦争の死者たちをもう忘れかけているということに関わる。原節子の紀子がいうように、生き残った者たちはその死者がほかならぬ自分の夫であっても、思い出さない日さえあり、忘れている日が多い。もちろんそれは仕方がないことなのだが、少なくともそれは「ずるい」ことであり、恥ずかしいことであり、慙愧の念を持つべきことである。われわれはそのことを肝に銘じなければならない。小津はそのように考えていたと見ていいはずだ。そうでなければ原節子に「ずるい」という言葉を3度も繰り返させたことの説明がつかない。

◇とはいえ、原節子の紀子と笠智衆の義父の会話の内包と外延は、「ずるい」という言葉に尽きるものではない。「いやァ、ずるうはない」には、それをいうのが笠智衆とは思えない厳しさがあるし、蓮實重彦が指摘していたように、原節子の「とんでもない」にも異様なほどの拒絶の力がある。しかしそういうやりとりとして受け取るかぎり、それはわれわれの日常的論理の枠内に収まる。そういう見方をするかぎり、中村明のいう「小津映画らしくないある種の"ほころび"」はない。笠智衆の否定には戦死した息子の嫁の幸せを思いやるがゆえの叱責が含まれているし、原節子の再否定にはそういう思いやりには値しないという「ずるい」自分への断罪がある。しかしけっきょく原節子は義父が差し出した義母の形見の時計を受け取る。

◇そういう意味では「ほころび」は巧妙に縫い合わされているともいえる。小津自身は『東京物語』について「ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」と語っている。メロドラマといえば、新藤兼人がそうもいえるだろうというニュアンスを込めて「できすぎたメロドラマ」と呼んだ溝口健二の『残菊物語』(昭和14年)を思い出さないわけにはいかないし、観客の紅涙をしぼるということでは、この2本に木下恵介の『二十四の瞳』(昭和29年)を加えた3本が日本のメロドラマ映画の頂点をなすともいえる。とはいえ、中村明がいう意味での「ほころび」は、やはり『東京物語』の核心に居坐っているように思える。そういうものがドラマの核心をなしているという意味で、『東京物語』の異質さは際立っているように見える。

◇ここで参照している『小津の魔法つかい』の著者中村明は日本語学者だから、小津映画に見られる言葉(「ちょいと」、「いやァ」、「困ったな」、「行ってまいります」、「ある」、「ない」、「シャボン」、「ちゅうぶる」、等々)と会話、そしてそれを語る人物たちの品位や佇まいなどに焦点をしぼっているが、小津の映画はほとんどいつも過剰と余白を含んでいる。過剰さで際立っている映画のひとつが『東京物語』であり、余白で構成されているという印象が強いのが小津の遺作となった『秋刀魚の味』(昭和37年)であるといちおうはいえるだろう。しかし『秋刀魚の味』に何度も出てくる赤や黄色のドラム罐、床屋の三色ねじり棒、中華そば屋の看板などは、余白であるとともにある種の過剰さであるようにも見える。いずれにせよ、『東京物語』の核心をなすキーワードが「ずるい」という言葉であることは間違いないと思われるが、それが原節子によって語られる過剰で唐突な感じを「小津映画らしくないある種の"ほころび"」と呼んだ日本語学者中村明の直感は鋭い。

◇蓮實重彦が溝口健二の『残菊物語』について論じた優れた文章(『国際シンポジウム・溝口健二』朝日選書収録)で述べているように、「言葉の力」は必然性を超える決定や出来事へとわれわれを導く。溝口はそのことを彼がつくり出すドラマを通じて教えている。だが小津のやり方はそれとはかなり違う。われわれは義父の思いやりにもかかわらず、みずからを「ずるい」と規定する原節子の紀子が「先々幸せ」になる図を思い描くことはない。そこに「ずるい」という言葉をいわせた小津の凄さがあるのだが、そういう過剰と余白がともにあるところに小津映画の真髄がある。『東京物語』をみる者は原節子の紀子を「ずるい」人間とは思わない。しかしそういう自己認識を持つ人間の代表が原節子の紀子であることを知る。そのような自己認識を持つことはジャック・デリダのいう「決定(decision)」にほかならないのだが、それは必然性を破る「ほころび」からくる。

◇原節子の紀子は平山家の一員なのだが、彼女がそれを望んでいるかどうかは分からない。「いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです」という言葉には、彼女にもそれが分からないという意味が含まれている。つまり、分かっているのは「分からない」ということだけなのだ。じっさい原節子は平山家のひとびとに他人とも身内ともつかぬ表情を見せる。そのようなあり方を普通は決定とはいわない。しかしそのような自分を「ずるい」と規定することで、深いレベルの「決定」が導入される。それは幸福や不幸とは別次元の責任感覚からくるがゆえに、紀子の「将来」(「未来」ではない)はいわば閉ざされる。これが紀子の側から見た『東京物語』の構図である。原節子は幸不幸を超えたそうした紀子の「決定」を完璧に演じているがゆえに、『東京物語』をみるわれわれとしても、義父の周吉とともにそれを祝福するほかない。紀子は寡婦にして下層の労働者という生き方を続けてゆくのだろうが、それ以上に気品ある生き方がほかにあるだろうか?

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