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2003/12/11(対話-44) 自衛隊のイラク派遣をめぐって

 前回の対話で君は日本のイラク復興支援に触れながら、自衛隊のイラク派遣についてはなにも触れなかったじゃないか。それについて君がコメントしたくないと考えているらしいというのは分かるんだが、君としてそれについていま言っておくことはないのか。
 俺は自衛隊のイラク派遣には基本的に賛成だよ。しかしそれは、そうすることがイラクの復興支援の役立つと考えているからではない。むしろ逆の結果になる可能性もある(それもあって、政治学者の五百旗頭真は自衛隊のイラク派遣に賛成していない)。そもそも03/27の「対話-15」や03/21の「対話-14」02/17の「対話-5」でも君と話したように、ブッシュ政権の対イラク戦自体が、@チェイニー=ラムズフェルドの「軍事優先主義」、Aパウエルの「国際主義」、Bライスの「アメリカ第一主義」の3者の動力学のなかで遂行されたわけじゃないか。しかも、このうちパウエルはアメリカの対イラク戦は日華事変と同じような泥沼になる可能性が高いと見ていたはずなんでね。にもかかわらず、結局パウエルは戦争に「乗った」わけじゃないか。ライスの方は嬉々として「乗った」んだろうが。
 あの時の話ではそういうことだったよな。その後の情勢の変化と言えば、ウィリアム・クリストルやロバート・ケーガンらのネオコン派がラムズフェルドと「内ゲバ」を始めたということがあるよね。もっとも、現実主義者のラムズフェルドはネオコン・イデオロギーなんかはじめから馬鹿にしていたはずなんで(世論を動かすためにネオコンを「利用」しただけだろう)、本当は「内ゲバ」でもなんでもないんだろうけどね。
 いずれにしても、ラムズフェルドと国防省はこれからイラク駐留米軍の削減を進めて行くだろう。イラクで財政赤字を垂れ流し続けることに、アメリカがいつまでも耐えられるわけはないんでね。

 ということは、自衛隊は米軍の「肩代わり」をしに行くのか?
 そういうこともあるだろう。しかしそれよりもアメリカを政治的に支援するという側面の方が強いだろう。だから、それでいいと考えるか、それは許されないと考えるかの二者択一になるわけだよ。結論を言えば、俺はそれでいいと考えるわけだ。この前クリントンが来日して小泉と会談をしていたようだが、あれは民主党のクリントンとしても自衛隊のイラク派遣を希望する、ということを言いに来たんじゃないのか? つまり日本政府が気にしていたのは、次の大統領選で民主党が勝った場合、自衛隊を派遣した日本の立場はどうなるのか、ということにあったわけだが、クリントンがその問題をいちおう「解決」してくれたんじゃないかと俺は思うわけだ。
 自衛隊のイラク派遣を希望しているのは「アメリカの総意」だということかな?
 それは微妙だね。クリントンに日本行きを頼んだのはブッシュなんだろうが、もちろんクリントンは意に反して日本に来たわけではないだろうということだよ。
 つまり日本は「主(あるじ)」であるアメリカには逆らえないということだろう? 「アメリカの家来」という敗戦後の日本の生存条件はなにも変わっていないんだと。
 はっきり言えばそういうことだよ。だから、イラクの復興支援にはならないから自衛隊をイラクに派遣すべきではないという意見が成立することを俺は理解しているわけだが、ではそれがなにを意味しているかと言うと、日本はアメリカもアメリカとの同盟も必要としない、ということにならざるをえないわけだよ。
 それは分かるが、自衛隊のイラク派遣が大きなリスクをともなうことはたしかだろう?
 もちろんさ。いちばん大きなリスクはイスラム諸国と中東産油国を敵にまわすことだろう。しかしそれは「技術」的に回避できる問題だと俺は思うよ。しかし対アメリカという意味では、そういう意味での「技術」は通用しないということだよ。だから自衛隊を出す以外の選択肢はないだろうということだよ。

 さてここまで話したところで、12月9日の閣議における自衛隊のイラク派遣の決定と、それを踏まえた小泉の記者会見があったわけだが、それについてなにか感想はあるか?
 小泉の記者会見はなかなかよかったんじゃないか。なによりも「アメリカは日本の唯一の同盟国である」ということをはっきり言ったのがよかったと思う。結局これが第一なのであって、それを踏まえた上で「国際社会への貢献」があるということを言っているわけで、そこには曖昧なものはなかったんじゃないのか。それから、「危険」なイラクに赴こうとしている自衛隊に対して「敬意と感謝の念を持って欲しい」と言ったのもよかったよ。驚いたのは、質疑応答の最後に「武器輸送はしません。戦争をしに行くんじゃありません。」と言ったことかな。
 あれは驚いたな。しかしアメリカはそれに横やりを入れるべきではないね。
 もちろんさ。しかしいまのアメリカの政治家には馬鹿が多いから、武器輸送をさせろと圧力をかけて来る可能性はあるな(あのあと、どうもそういうようなことがあったらしい)。それこそ「技術論」の問題だというのにな。それからすると佐藤栄作とニクソンは流石に「大人」だったね(沖縄返還交渉のこと)。そもそも朝鮮戦争以来、日本は「武器輸送」に関わって来ているわけだから。

 いずれにしても、「総論」としてはよかったということだね。
 そうだ。日本として必要なことは、まず「必ずしも安全とは言えない」イラクに自衛隊を出すことだよ。それがなされないかぎり、イラクの復興支援をめぐる問題でアメリカや国際社会に「口を出す」ことさえできないわけだよ。口を出すというのは、例えばアメリカや独仏連合に向かって「ものを言う」、つまりイラク問題やテロ抑止について有意味な解決策を提起して行くことなんだが、それはイラク現地における「実績」が踏まえられなければ見向きもされないだろう。ここで自衛隊を出せば、それによって国の内外で(戦死を含む)犠牲を払うことがあっても、それは意味のある犠牲ということになるわけでね。国際政治というのはそういうものだろう? 日本が自衛隊という軍隊を持っていることは、ここではじめて意味を持つんじゃないのか? そうでないのなら、自衛隊なんかなくしまえと言いたいよ。要するに、日本が「国際社会において名誉ある地位を占める」ことができるかどうかが自衛隊のイラク派遣にかかっているということだよ。言い換えれば、リスクを冒さずに国の安全・安定や国際的地位を確保することなどできやしない。つまり、そうしないかぎり政治的・社会的・経済的な不安定性=不確実性の増大という、より深刻で巨大なリスクを回避することはできやしない、ということさ。
 それにしても、国際政治の話は面白くないね。敗戦後の日本の場合は特にそうなんだろうが。
 ブレスト・リトフスク講和をめぐる即時講和派(レーニン)と革命戦争派(ブハーリン)と中間派(トロツキー)の対立だって似たようなもんじゃないか。ロマンチックな左派のブハーリン(と左翼エスエル)を別にすれば、講和は後ろ向きの消耗な事務的な問題でしかなかったわけだから。今回の自衛隊派遣問題について言えば、構図としては全面講和か部分講和かといういうサンフランシスコ講和条約以来のおなじみのテーマに見えるけどね。俺としては吉田茂やレーニンの方を支持するということさ。どれほど無原則的で機会主義的に見えようと、人間の幸福と希望の条件は、彼らのプラグマティズムの側にあるということだよ。


2003/12/06(対話-43) リフレ派、ケインズ派、スティグリッツ

 前回の対話からだいぶ時間があいたようだが、今回はなにから行く?
 なにから行こうか。足利銀行の「破綻」とか、イラクにおける日本人外交官殺害事件とかこのかんいろいろあったが、後者については、友田健太郎さんが「暇つぶしの灯台」の「メディアリテラシー日記」に(12月1日に)書いていたこと俺が付け加えることはなにもないよ。
 へえ。君みたいな右翼でもそうなのか?
 俺は右翼じゃないが、右翼であろうが左翼であろうが、それ以前に日本人だということだよ。このことについては村上龍がいつも(否定的に)語っていたことで、だから村上龍がなんと言うかを是非聞きたいところなんだが、いくら彼がモッブ中のモッブだと言っても、やっぱり日本人にはちがいないんじゃないのか。
 そうだろうな。戦争当事国だったら日本人は気違いのように怒り狂うところなんだろうが。
 まあそうだろうな。敗戦前はこういう類いの事件は中国大陸でいやになるほどあったからね。出兵を正当化するために、日本人自身の手で「作り上げ」られてさえいたからね。それに比べると、日本もずいぶん「まともな国」になったとは言えるんじゃないのか。
 たしかにそうかもしれない。怒りにわれと国益を忘れてイケイケドンドンで行くよりは、悲しみと苦痛の中に茫然と立ち尽くす方がずっとまともなのかもしれないからね。
 マスコミも含めて今回の事件への日本人の対応には、特にひどいものはなかったと思うよ。ひどいのは、またしても日本経済の話になるが、「年金改革」等を含む総合的な経済政策だよ。それをひどいと言わざるをえないのは、そこに明確な現状分析と方針がないことなんだが、結局それは不況の深刻化にともなうケインズ派の官僚機構と新古典派の経済界(民間)との分裂に依っているのかもしれない。

 規制緩和が行き過ぎて、官僚が力を失ってしまったこともあるんじゃないのか?
 そうかもしれない。岸信介らの革新官僚と占領軍当局のニュー・ディーラーたちとの合作と言えるだろう戦後日本の行政=官僚機構はそれなりのものだったと思うんだが、中曽根⇒小沢⇒橋本⇒小泉と続いた新自由主義によって政策立案への意欲と能力を失ってしまったのかもしれない。それから財務省について言えば、もうずいぶん前から財政再建路線をとっているからね。だから、経済産業省や国土交通省をはじめとするその他省庁と、反ケインズに転じた財務省もまた分裂状態にあると言えるのかもしれない。
 なるほどね。そういう事情もあって行政=官僚機構が機能していないということもありそうだな。
 もうひとつは、これまたテクノクラート機構にはちがいない日銀が速水総裁のもとで「構造改革路線」をとっていたじゃないか。福井総裁になって速水総裁の時代よりは日銀の「独立性」が確保されるようになったとは言え、行政のトップ(小泉首相)が新自由主義者と来てるから、明確な現状分析とそれを踏まえたマクロ政策に踏み切れる状態にないわけだよ。
 話が飛ぶかもしれないが、先のH2Aロケットの打ち上げ失敗に見られるような、日本の技術力・生産力の低下というような事態も、ひどいと言うべきなんじゃないか?
 そうだな。しかしそれはこのところ多発している工場の事故と同じで、不況とリストラから来るミクロ・レベルでの人的・物的要素の劣化によるものなんじゃないか? それ自体が重大な問題であることはたしかだが、いまのところはまだ日本経済の潜在成長率の低下には直結していないんじゃないか。むしろそれはマクロ政策の不在の結果と言うべきでね。しかしいまの不況を放置していたら、当然のことながら技術の蓄積や革新へのインセンティブが弱まるわけで、潜在成長率そのものが下がって行くことは避けられないだろう。

 つまり、いまの不況を放置していたら日本の未来も閉ざされてしまうということか?
 あたり前だよ。技術の蓄積と革新を支えているのは人間なんだから。そしてそれは、いまのようなデフレ・ギャップのない、持続的な経済成長があってはじめて実現されて行くわけでね。
 しかし少子高齢化と言われるような人口構成の変化が進んで行くなかで、80年代までのようないわゆる右肩上がりの持続的成長はもう望めないんじゃないのか?
 そういうことがよく言われるが、移民受け入れ条件の見直しみたいなこともまだまともに検討されていないようだし、そもそも労働人口が多ければ多いほどいいというものでもないだろう。それにマスコミが言っているようなことはぜんぜん経済学的な話じゃないからね。だからまずはデフレ・ギャップを解消して、マクロ安定化をはかるためになにをなすべきか、という当面の政策課題がそのずっと手前にあるわけなんでね。
 なるほどね。まずは失業率を下げて、そうでなくても少なくなって来つつある若年労働力をしっかり活用せよ、ということかな。
 そういうこと。そのためにはまず金融政策を中心とした政策パッケージ(インフレ目標・為替目標の設定、日銀がファイナンスする重点的財政出動、等々)を集中的・機動的に発動すること。これをやらないんだったら、政府の存在理由はないと言ってもいいんじゃないのか。
 やっぱり財政政策は必要だよね。市場に活気を取り戻すには、まずはリフレ(反デフレ)への転換を確実なものにすることが先決であるにしても、H2Aロケットの打ち上げ失敗に象徴されるような、「失われた10年」のなかで崩壊の危機にある世界に冠たる(?)日本の技術を取り戻して行くには、それだけでは充分じゃないよね。話は飛ぶかもしれないが、俺が前から不思議に思っているのは、野口旭と田中秀臣が書いた『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)の帯に「猪瀬直樹氏推薦」なんて謳われてるじゃないか。あの本は構造改革批判の本なんだろう? それなのに、なんで構造改革推進論者の猪瀬直樹が推薦しているんだ?

 猪瀬直樹が構造改革推進論者なのかどうか、俺は知らない。彼が書いた本は2、3冊読んでいるが、残念ながら、道路関係の本は読んでなくてね。しかし2日ぐらい前にテレビに出て、「道路公団の借金を返済することがまず第一」というようなことを言っていたから、少なくともケインズ派ではないだろう。ケインズ派だったら、事業内容をうんぬんする前に「まず雇用の確保が第一」となるはずだから。
 そうだよね。橋を架けたりトンネルを掘ったりする日本の技術は世界に冠たるものだったわけじゃないか。しかし猪瀬直樹の場合は、それが失われないように政府と民間が努めるより、借金返済の方がプライオリティーが高いと主張しているわけだろう?
 さっきも言ったように、猪瀬直樹がそういう意味の構造改革推進論者であり財政再建論者なのかどうか、実は知らないんだよ。俺なんかはそういう借金はとりあえず日銀に肩代わり(ファイナンス)させるのがいいと思うわけだが、猪瀬直樹だって道路・橋・トンネル建設等の評価基準がしっかり出来るなら、石原伸晃みたいに道路公団を全面的に民営化すべしとは考えていないかもしれないわけでね。
 まあ野口旭と田中秀臣の『構造改革論の誤解』を「推薦」するからには、小野善康の『誤解だらけの構造改革』(日本経済新聞社)だって読んでいるかもしれないからな。
 そういうことだ。それに野口旭と田中秀臣が猪瀬直樹のメール・マガジン(「日本国の研究」)のライターをやっているというのも、「戦略的」な選択(つまり評判の悪い国土交通省などではなく、主流派世論や財務省の方にコミットする「ふり」をするというような)なのかもしれないわけだから。
 分かりにくい話だな。分かりにくいと言えば、野口旭や田中秀臣が自分たちを「リフレ派」と規定しているのもなんだか中途半端な話だと思わないか? さっきも少し言ったように、本格的な日本経済再生のためには官民を挙げた労働・技術・生産性の質的再生・向上が必要なわけじゃないか。宇宙ロケットやインフラ整備みたいなことはどうしたって官主導のプロジェクトにならざるをえないわけでね。そういうことは「リフレ派」を超えた小野善康流の「ケインズ派」的発想によってしか提案して行けないわけじゃないか。

 分かりにくいと言えば、どうしてケインズ派の小野善康が「リフレ派」でないのかということもあるよ。更に言えば、新古典派のミルトン・フリードマンやロバート・ルーカスや竹中平蔵は「リフレ派」だからね。
 えっ。ホントかよ。まあいかなる立場であろうと、デフレよりは穏やかなインフレの方がいいに決まってるからな。ということは小泉も「リフレ派」なのかな?
 経済顧問である竹中大臣がそうならそうなんだろう。いまの日銀の「インフレ目標採用一歩手前」というスタンスもそれで説明がつくのかもしれないよ。
 えっ。小泉と竹中の意向がそこに絡んでるのかよ。
 無関係じゃないと思うよ。アメリカの財務省やFRBから有形無形の圧力もあるかもしれないし。日本のイラク復興支援も絡んだ複雑なやりとりや綱引きもあるのかもしれない。自衛隊は別にしても、日本はまずカネは出すわけだから。だから円売りドル買い介入に対する横やりといった話も最近は聞かないじゃないか。
 こみいった話だね。支援金の「補てん」がらみで貿易の話までしてたりとか?
 まあそういった想像の話はさておき、リフレ転換へ向けて事態はかなり煮つまって来ている可能性が高いということだよ。だから俺たち「外野」としては「その先」を考えて行くのがいいんじゃないのかな。つまり、どういう政治的ビジョンで日本経済の再生を進めて行くべきなのか、というテーマだよ。
 それは「国家目標」というようなテーマかな? 前回までは左翼的な話が多かったから、たまには右翼的な話もしてみようということかな?
 ちがうよ。われわれが経験して来た「失われた10年」というのは典型的な「市場の失敗」だったということだよ。最近出たジョセフ・E・スティグリッツの『人間が幸福になる経済とは何か』(徳間書店)という本をいま読んでいるが、スティグリッツによると、90年代アメリカのバブル経済とその崩壊という現象("The Roaring 90's")も「市場の失敗」以外のなにものでもなかったということになるらしいから。

 へえー。「ニュー・エコノミー」と謳われたあの90年代アメリカの経済的パフォーマンスも、結局は失敗だったということなのか。要するにスティグリッツはニュー・ディーラー的ケインジアンだということだろう? 立場がちがえば、評価だって変わって来るんじゃないのか? 90年代はグリーンスパンの金融政策が大成功を収めた時代だったという評価だってありうるわけだろう?
 もちろんFRB寄りのエコノミストだったらそう言うだろうさ。ポール・グルーグマンだって以前はグリーンスパンをさかんに持ち上げていたからね。しかし、スティグリッツは第一期クリントン政権の経済諮問委員会の委員長として政権内部から経済政策に携わっていたのであって、「政府の失敗」を認めたうえで「市場の失敗」を言っているということは、ひとつの見方という以上の意味を持っていると俺は思うわけだよ。
 ひょっとするとスティグリッツというのは、前回話題になったリチャード・ローティの言う「改良主義左翼」かもしれないということなのかな?
 多分そうだろうと思うよ。結局のところスティグリッツが理想とする経済のあり方というのは、リチャード・ローティの言う「福祉国家的資本主義」だからね。ステイグリッツはクリントンやゴア副大統領流のネオ・リベラルを何故かニュー・デモクラッツと呼んでいるが、いずれにしても「もはやわれわれは安心な生活を送れない」とか「世界を不幸にしたグローバリゼーション」という言い方で、レーガン/ブッシュ・シニア政権とあまり変わりばえのしなかったクリントン政権の新自由主義政策を批判しているわけだよ。
 クリントン政権の経済政策を批判しているということは、スティグリッツは市場中心主義の共和党とそのイデオロギーなんかまったく認めないということだよね。
 それどころじゃないよ。スティグリッツはいまの企業の市場行動そのものを「犯罪」とか「窃盗」とか「騙し」と呼んでいるよ。スティグリッツには、是非マネタリズムや「合理的期待」理論の原理的批判の啓蒙本を書いてもらいたいね。ケインズ主義的介入主義を取り戻して行かないかぎり21世紀の人類は救われないよ。

 しかしニクソン政権の頃までのケインズ主義(ニクソンは「われわれはみなケインジアンである」と言った)には、いわば冷戦体制構築という意味での「国民総動員=総中流化」政策という側面もあったじゃないか。そういう条件が失われた中でケインズ主義を取り戻して行くというのは難しいんじゃないのか?
 それは言えるかもな。資本主義が外部に敵を持っていたうちは、牙を外に向けていたということがあるだろうな。20世紀初頭の帝国主義本国の「城内平和」みたいなところ(むきだしの収奪は外=植民地で行なわれていた)は、たしかにあったよな。それが冷戦が終った途端に資本主義は内部に向けてその凶暴な牙をむきだし始めたというのはありうる話だよな。ということは、資本主義の原理的批判というマルクス的テーマを踏まえないかぎり、ケインズ主義の再生というのもおぼつかないということかな?
 今回もそこに行き着くわけか。「改良主義左翼」としてのケインズの「成功」(ケインズ自身は政治家の説得には「失敗」ばかりしていた)を持続的なものたらしめるためには、マルクス的資本主義批判が不可欠だということか。まあプラグマティックな面白い発想ではあるよ。しかしスティグリッツはまだ若いんだから、少なくとも理論的にはそのあたりまでは仕上げて欲しいよね。いまさらマルクスを持ち出すというのもどうかと思うし。
 今回の『人間が幸福になる経済とは何か』は、たしかにそういう意味の啓蒙本といった雰囲気は濃厚にあるよ(思えば前作の『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』もそうだったのかもしれないが)。だいたいスティグリッツが言っていることは、上にも言ったように極めてラディカルでね。ノーベル経済学賞を受賞した「情報の非対称性」というスティグリッツのテーマが『資本論』よりラディカルでないとは言えないんじゃないか。ひょっとすると、マルクスによる資本主義のサプライ・サイド(生産体制)批判を補完するディマンド・サイド(市場体制)批判という側面だってあるのかもしれないし。温厚なノーベル賞経済学者(見かけはそう見える)だなんて思ったら大間違いなのかもしれない。生年も、名著『60年代アメリカー希望と怒りの日々』(彩流社)を書いたニュー・レフトのSDS二代目議長トッド・ギトリン(ニューヨーク州立大学社会学教授)と同じ1943年だし。
 だったら君も『スティグリッツ 経済学』を読むしかないよ。


2003/11/14 (対話-42) 「世界観」や「二大政党制」のことなど

 2003/10/29の「対話-40」(下↓を)の最後のところで、君は「思想」というようなものは無力だということを言っていたが、まずそれから説明してもらおうか。
 説明することなんかないよ。文字通りの意味だよ。俺は吉本隆明に即してそういうことを言ったつもりだが、吉本隆明が85年頃に表明した「重層的非決定」という路線にとどまっているかぎり、これまた本質的に「非決定」的で現実追認を超えることのない加藤典洋的な「公共性」しか出て来ようがないということだよ。もちろん俺は加藤典洋が90年代を通じて行なったことを高く評価してはいるよ。しかし、つまるところそれは「文学」や「個人倫理」のレベルを超えるものではないだろう、ということだよ。要するに、「ご立派なことで」と言う以外には挨拶のしようがないということだよ。もちろんこれは皮肉でもなんでもないんだが。
 君が言っているのは、反スターリニズムのニュー・レフトの思想をつきつめて行くと、そういうところに行き着くほかないということなんだろうが、しかしそうであるとしても、それが目下の新自由主義(=新古典派経済学)イデオロギーの攻勢と席捲に対していかなる対抗軸を打ち出すこともできないのだとしたら、もうそんなものにつき合っている義理はないんじゃないのか?
 もちろんそうだよ。俺が「思想」というようなものは無力だと言ったのは、まさにそういう意味なんであってね。最近吉本隆明関係の本がいろいろと出ていて、橋爪大三郎が書いた『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書)を買って読み始めてみたが、あんまり面白いもんじゃないね。それより、2003/10/08の「対話-37」で触れた冷泉彰彦が「世界観という選択肢」という文章(『from911/UASレポート』第118回/『JMM』2003年11月8日発行)でまた面白いことを書いていたんで、今回はそれから行ってみようか。それに触れることで、先の衆院選の話にもつながって行くんじゃないかと思うわけだよ。

 ああ、あの「社会の中核を支える賃金労働者の利害を守る思想や団体」のことを言ってた冷泉彰彦さんね。その「賃金労働者の利害」についても新しい展開が見られるのかな?
 今回書いていることが新しい展開なんだと思うよ。冷泉彰彦が「世界観という選択肢」で書いていることを簡単に要約しておくと、まずいまの「イデオロギーの死」という状況のなかで、個々の社会的・政治的問題へのアプローチが、「一部のエリートによる技術論に流れてしまっている」と述べ、「(映画)『マトリックス』に代表される、主観主義的イメージの奔流が流行する背景には、そんな問題もある」だろう、という問題意識を踏まえて、「社会全体の意思決定には、一種の抽象的な合意形成というものが必要で、それを浮草のような情念の揺らぎに任せるのでなく、一定の法則性なりまとまった選択肢に持って行って民意を形成するには、一種の世界観めいた「秩序立った理由付け」の共有は必要だと思う」と述べている。更に、「人々の利害をまとめる政治の調整機能が、所詮は弱肉強食や既得権で決まってしまう、そんな絶望からは、若い人々に「この世界」を自分の居場所として参加してゆこうという気概を持てと言っても無理だと思います」とも言っている。
 まさに正論じゃないか。日本のポストモダニズムやポスト・ポストモダニズム的風潮のなかからはちょっと出て来にくい発想だろうけどね。
 それから、政治的機能としてはポストモダニズムと変わらない世の吉本主義者からもまず出て来ないだろう。そういう発想のことを「スターリニズム」と言いかねないからな、彼らは。最近アメリカではプラグマティズムのジョン・デューイなどが「アメリカ左翼」として「復権」しているようだが(リチャード・ローティ『アメリカ 未完のプロジェクト』晃洋書房等参照)、冷泉彰彦の場合もそうしたアメリカ政治思想の最近の動向に触発されている面があるのかもしれない。いずれにせよ、新自由主義に全面的に屈服していった日本のニュー・レフトとそのポストモダニズム的末裔たちとは根本的に構えがちがうように思われる。ついでに言っておくと、リチャード・ローティはアメリカ的な「改良主義左翼(Reformist Left)」を見直すことを要請しているが、考えてみれば、冷戦の終焉と「イデオロギーの死」が「改良主義左翼」の復興につながらなかったことの方が不思議な気がするね。

 ハンナ・アーレントなんかも言っているように、アメリカの政治風土というのはかなり特殊だからね。つまりアメリカは始めから人工的共和国だったわけだから。だから、時折り出現するアメリカ革命と建国の理念を復興せしめようという志向そのものが「改良主義左翼」の志向でもあったということなんじゃないのか。同じことを日本で言うとすれば、「五箇條ノ御誓文」の精神を思い起こせと言うようなものだが、それが言えたのはかろうじて「人間宣言」の昭和天皇ぐらいのものだったんじゃないのか?
 そうなんだろうな。リチャード・ローティはウッドロー・ウィルソンやフランクリン・ルーズベルトを「パートタイム左翼」と呼んでいるが、しかし、いくらなんでも昭和の陛下を同列に語るわけには行かないだろう。陛下ご自身が「個人」としてどれほどリベラルなお考えを持っておられたにせよ、また「人間宣言」によって陛下がエンペラーからキングになられたのだとしてもだ。陛下が開明的な君主であられたことは日本人としては知っておく必要があるんだろうが、われわれとしてはまずアメリカの政治風土とのちがいを踏まえる必要があるね。
 さっき君が言っていた、冷戦の終焉と「イデオロギーの死」がアメリカの「改良主義左翼」の復興につながらなかったのは不思議だ、という話は分からないではないが、92年にはいちおうクリントンの民主党政権が成立したからね。もちろんクリントン政権が「改良主義左翼」政権と言えるのかどうかは考えるだけ無駄のような気もするが、実は日本においても93年に細川連立政権が成立しているからね。だから「イデオロギーの死」が目に見えないところでわれわれを動かしていた可能性はあるんじゃないのか。こういうことを言っても、ほとんどの政治学者はキョトンとした顔をするだろうが、分析をしてみる価値はあるかもしれないよ。
 なるほどね。あれが一種の「人民戦線」的志向の復活だったんだとしても、俺たちのアタマの方が狂っていて理解することができなかった可能性だってありうるわけだからな。まあそれは別途考えることにして、冷泉彰彦の「世界観という選択肢」やそれに影響を与えたかもしれないリチャード・ローティの政治思想に話を戻すと、そうした行き方は、吉本イズムやポストモダニズムや「文化左翼」といった60年代ニュー・レフトの末裔たちのそれとは根本的に異なる選択肢として、俺たちの前にあるのと考えるのがいいのかもしれないね。

 もちろんそうだよ。2003/08/28の「対話-30」やそれ以前から君が言っていた「マルクス主義の再建」というオプションは、俺には分かるにしても、そんなのはぜんぜん一般的じゃないからね。君の言う「マルクス主義の再建」というのは、要するにカール・マルクスとハンア・アーレント(とジョン・メイナード・ケインズ)の総合ということなんだろうが、なんだかポール・サミュエルソンの「新古典派総合」みたいで落ち着きが悪いよ。基軸をどこにおくかはもちろん君の勝手だが、「市場の効率性」を全否定して計画経済へ移行すべしというような考えはまったくないわけじゃないか。だからマルクスやレーニンがどれほど偉大な革命家であったにしても、彼らの名前を持ち出すのはどうかと思うよ。君自身ポストモダニズム左翼やEUの反グローバリズム左翼などより、リチャード・ローティの言う「改良主義左翼」の方がずっとまともだと考えているわけだろう? しかも君は「天皇陛下万歳」の右翼じゃないか。ちがったっけ?
 何度も言うように俺は右翼じゃないよ。さっきも少し示唆したように、昭和の陛下は戦後日本の出発点に立って「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」の「五箇條ノ御誓文」を想起することを国民に呼び掛けたような方であられたわけだからね。だいたいリチャード・ローティにしたって、アメリカの(過去の栄光ではなく)未来の可能性の方を愛するという意味での「愛国主義左翼」でもあるわけだから。
 要するにいまや君はプラグマティストなんだよ。新自由主義の「構造改革」路線や新古典派経済学と戦うために、わざわざカビの生えたレーニンの言葉を引っぱり出して来て、それを「断固たる政策の発動なくしてデフレに勝てると思うのか」という風に言い換えてみたってあんまり意味がないんでね。もちろん「イデオロギーの死」によってわれわれが語るべき言葉を失ってしまったというような事情はあるにしたって、ヘーゲルとかケインズをきちんと学び直せば、2003年のいまに相応しい「改良主義左翼」風の「世界観」にまとめ上げるぐらいのことは、そんなに難しいことじゃないと思うけどね。

 そうかもしれない。マルクスの「歴史哲学」はまだ「改良」の余地があると思うが、しかしそれは今後の課題ということにして話を戻そう。冷泉彰彦は映画『マトリックス』などに見られる「極端な主観的世界観」に引き寄せられる若者について、いくぶん否定的に語っているが、彼らがマーロン・ブランドの『乱暴者』(1953)やジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』(1955)に熱狂した50年代のティーン・エイジャーたちに比べてレベルが低いなんてことが言えるわけがない。同様に「黒いコートを羽織って虚無を気取る(マトリックス・ファンの)若者たち」が、向こう見ずな死に方をしたジェームズ・ディーンを気取るニュー・レフトの卵たちより政治意識が低いなどということがありえようはずもない。そんなことは冷泉彰彦だったら百も承知のはずなんだが、どうして世のオヤジたちは若者たちの政治意識を気にしたりするんだろう?
 どうしてだろうね。彼らは彼らでまったく新しい政治意識を育てて行くかもしれないのにね。ひとつ言えることは、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンの映画は、フランス実存主義の「行動主義」をアメリカ的にモディファイしたようなところはあったよね。それに対して、キアヌ・リーブスの『マトリックス』の場合は『ターミネーター』などと似た戦いの映画なのに、死が見えないということがあるのかもしれない(俺はまだ3作目は観てないんだが)。死を思うことは一種の解放感をもたらすはずなんであって、冷泉彰彦さんはそういう現在の出口のなさを象徴している映画であることに反応しているのかもしれないじゃないか。
 出口は意識のなかにしかないということかな。たしかに死の解放感やいさぎよさやかっこよさを欠いた文化というのは息苦しいんだろうね。だけどそれは大人も子供もおんなじじゃないか。ハリウッドで映画を制作している連中はいちおう大人と言えるんだろう? 出口を見出せないでいるのは彼らの方なんだろうと俺は思うよ。だから政治意識(を表現する方途)のないことが問題になるのは、やっぱり大人の方なんじゃないのかな。

 それは日本の場合でも同じだよね。
 もちろんさ。先の衆院選の前から二大政党制ということが言われていたが、それもいま政治意識を表現する方途を見出せないことから来ているんだろうと思うよ。
 しかし二大政党制というものが、日本の議会制民主主義のあり方として有効かそうでないかは、いまのところまったく分からないわけだろう?
 ハンナ・アーレントも言っているように、社会の全体主義化への抑止力という意味ではある程度は有効なのかもしれないよ。それから戦後のいわゆる55年体制というのも、かなり不均衡ではあってもだいたい自民党が3分の2、社会党が3分の1という比率で安定していたからね。しかも院内では3分の1でも、院外の労働組合というレベルでは極めて強力な政治勢力だったわけでね。60年代の高度経済成長は、これが有効に機能することで実現されたことについては2003/10/08の「対話-37」でも述べた通りだ。
 たしかに所得の再配分というディマンド・サイド政策は、上から与えるようなやり方よりも下から実力(団結力)で戦い取るという方式の方がベターではあることは間違いないよね。
 その通りだ。だから民主党が新自由主義を捨てて、実質的な「民主労働党」にでもなることができれば言うことなしなんだよ。つまり、若い活動家を育成・結集して労働者と失業者の生活と権利を実力防衛する組織を作って行って、院内の議員たちとともにそれを合法化・システム化して行くことができれば、意味のある強力な政党になりうるわけだよ。何度も言うように、経済の成長と拡大の究極のエンジンは結局のところ「労働」なんだから。だからこの政党はディマンド・サイド党であるだけでなく、同時にサプライ・サイド党でもあるわけでね。その意味で「真の責任政党」たりうるわけだよ(多少ファッショ的になるのもいいかも?)。
 なるほど。それで過半数を取れなくても、他の野党との連立で政権を掌握することもできるというわけだね。それは二大政党制とはちょっと違うが、日本には公明党みたいな特殊な政党も存在するからね。
 さっき言った若い活動家たちが過激化すれば、それはそれで面白いことになるわけだし。右であれ左であれね。要するに、院外の運動との有機的な結合が生まれれば、これは絶対に面白いよ。リンドン・ジョンソンの民主党は60年代にそれでえらい目に遭ったわけだが・・・。


2003/11/08 (対話-41) 衆院選挙のこと

A しかし盛り上がらないね、明日は投票日だというのに。もちろん衆院選挙の話だけどさ。
B そうだな。俺が知るかぎり、こんなに静かな選挙は初めてだよ。俺のところはマスコミなんかでは「注目」されているはずの東京3区だというのにだぜ。
A なんでこんなに盛り上がらないんだ?
B まずは運動資金がないということじゃないのか。しかしなによりも「マニフェスト選挙」という触れこみの嘘っぽさが見透かされているということだろう。「マニフェスト」なんてことを言い出したせいで、政治家の言葉と現実になされる(なされない)こととの乖離が決定的なものになったところもあるわけだから。候補者が政党の「マニフェスト」とは別の「地元有権者との約束」みたいなことを言いにくくなったという事情もあるだろうし。
A そうなんだろうな。今度の選挙の争点が経済政策にあることはあまりにも明らかだというのに、それだけは大きな声では語られないというのが今回の選挙の特徴であるとも言えそうだから。
B ここまで本当の争点が回避される(あるいは隠される)理由というのが、俺にはよく分からないんだが、政党の「マニフェスト」のせり上がりとともに、政治の「パフォーマンス化」というところにも大きな要因があることはまちがいないだろうね。
A その政治の「パフォーマンス化」というのは、例えば、安倍幹事長誕生、竹中大臣留任、石原国交相による藤井総裁解任、中曽根・宮沢の引退劇、民主党政権が誕生した場合の田中康夫ちゃんほかの「閣僚」の顔見せ、といった一連の「パフォーマンス」のことだよね。
B まあそういうことだ。そうした「パフォーマンス」が本当の争点を隠すことに成功したと言うべきなのか、それとも、そのことが逆に選挙をシラケさせてしまったと言うべきなのか、俺にはよく分からないんだが、自民党サイドから言えばいちおう「成功」とは言えるのかもしれないね。
A たしかに。投票率が下がることは自民党とすれば歓迎だろうからね。とは言っても、有権者をシラケさせてしまったことのツケはいずれ自民党にはね返って来るんじゃないのか?
B それは言えるな。国民の政治離れという事態は、短期的には自民党に有利に働いても、中長期的には有利でありうるわけがないんでね。当面の問題で言っても、憲法改正の国民投票の投票率が例えば40%程度だったりしたら、それが「有効」と言えるかどうかが大問題になることはまちがいないからね。
 盛り上がりすぎる選挙というのも気持の悪いものだが、しかし国民の政治への参加意識が低すぎるのも問題なわけだよ。そしてそれを招いたのが君の言う「マニフェスト」と「パフォーマンス」だとすれば、実際の投票率とは別に、今回の選挙は「失敗」だったと言えるんじゃないのか?
 所詮は選挙だからな。では、ほかに国民の政治参加の道があるのかと言えば、恐らくそれを見出して行くことこそがわれわれの究極のテーマになるんだろうが・・・。


2003/10/29 (対話-40) 新自由主義や竹内まりやの新譜のことなど

A 68/69年の大衆反乱はアーレント的な「革命」であると同時に、中曽根内閣に始まる新自由主義路線の「露払い」でもあったという前回の話は理解はできるし、多分その通りなんだろうが、俺にはなんだか浅田彰みたいな連中が80年代に言ってたのと同じような話に聞こえるが、違うのか?
B そういえば浅田彰は、全共闘「勝ち組」だの「負け組」だのといったような新自由主義そのもののような言い方もしていたよね。俺自身は浅田彰の言うことはよく分からなかったが、そこにあるイデオロギー的なものをとっぱらってしまえば中曽根と同じじゃないかという印象はたしかにあったよ。しかしそれを言えば、80年代の「超資本主義(高度消費資本主義)」を「肯定」した吉本隆明だって似たようなもんだろう。
A そうかもしれないね。新左翼系のイデオローグたちが大衆消費社会を「肯定」して行ったというのは、まずその反スターリニズムという志向から「理解」できる。だから新自由主義路線に「屈服」して行ったというのも分かるわけだが、湾岸戦争の頃に「反戦リベラル」みたいな志向も生れていたじゃないか。いやもちろん柄谷行人みたいな部分(反戦派)と、それを一種のソフト・スターリニズムと見なして批判する部分とがあったということは知ってるし、後者から加藤典洋の『敗戦後論』のような成果が生れたということも理解している。前者の方はその後、反グローバリズム的革命派と戦後民主主義回帰派に分かれて行ったみたいだが、新自由主義のバック・ボーンである新古典派経済学を批判するという方向には行かないという点ではみんな共通しているよね。
B そうみたいだな。新古典派経済学を批判しているのはもちろんケインズ派であるわけだが、日本の場合は非アカデミズムの「論壇」みたいなところでは、ケインズ派寄りのイデオローグは左派やリベラル派よりも右派の方が多いよね。例えば西部邁とか佐伯啓思とかね。しかも信じられないことに(?)この右派の連中はだいたい反米主義者と来てるから「ねじれ」は極めて深刻だ。しかしいずれにしても、「世論」というようなレベルでは新左翼系をも取り込んだ新自由主義が圧倒的に強い。ケインズ主義は、経済学のフィールドを離れたところではほとんど「抵抗勢力」程度の力しか持ちえていないというのが現状だろう。だいたいEUのヨーロッパは反ケインズ主義そのものだし、グローバリゼーションを推進したアメリカの民主党もケインズ派とはとても思えないし、共和党はもともと反ケインズの新古典派だから、世界的に新自由主義=新古典派経済学がイデオロギー的覇権を確立しているように見えるのももっともなことだろう。

A まさに天下の奇観だね。アメリカのアカデミズムに近いところから啓蒙的言論活動を展開している経済学者のポール・クルーグマンが新古典派経済学を「保守派経済学」と呼んでいるのは、そこに政治的なイデオロギーを見ているからだろうが、そういう発想は日本にはないのか?
B 西部邁(この人物は元新左翼)や佐伯啓思を除くと、ほとんどないと言っていいだろうね。ポール・クルーグマンは政治的には民主党だろうし、世代的には俺たちより少し下だから、若い頃は新左翼のSDSに近いところにいたのかもしれない。しかし基本的にはケインズ経済学がベースになっているはずだから、ニュー・ディーラー的な立場と言ってもいいんじゃないのか。ニュー・ディーラーというのは政治的にはウィルソン主義的なリベラルなんだろうから、いまの時点では「オールド・リベラル」と言っていいのかもしれない。とは言っても、帝国主義(段階の資本主義)が戦争と恐慌を引き起こしたことに対する「反省」から、「市場の効率性」への疑いは根本にあるだろうし、恐慌の影響をほとんど受けなかったソ連型社会主義経済に強い関心もあっただろう。もちろんこれはケインズにも言えることだろうが、いずれにせよクルーグマンのリベラリズムは経済思想の面ではケインズと同じように介入主義的性格を強く持っているだろう。
A なんだかゴチャゴチャしててよく分からないが、要するに、アメリカにはクルーグマンたちケインズ派の「リベラル派経済学」とシカゴ学派を中心とする「保守派経済学」があるということだろう? これを政党で言えば前者が民主党で後者が共和党ということだろう? これに対して、日本ではアカデミズムのレベルではケインズ派と新古典派=保守派があるが(いわゆるマル経派は無視していいだろう)、これが「世論」や「論壇」のレベルとなると圧倒的に後者(新古典派=保守派)に席捲されていて前者(ケインズ派)はほとんど無きに等しい。これを政治勢力で見ると、「保守派経済学」を奉じているのは「小泉自民党」や「菅民主党」から「新左翼」まで、「リベラル派経済学」を奉じているのは「抵抗勢力」や「既成左翼」と一部の「保守派」だけ。こういうことだろう?
B たしかにその通りだよ。完全に「ねじれ」ているわけだ。この点を取り上げて、日本の60年代反乱はなにも生まなかったというような「説」もあるが、それはまったく逆で、「保革対立」という戦後の図式を壊した「功績」は、前回も言ったように60年代のモッブたちの反乱に帰すことができる。そしてそれを「思想」的に表現したのが80年代の吉本隆明たちだったわけだ。しかし問題はそこから始まったわけで、吉本隆明や「新左翼」が日本の大衆消費社会の到来を「謳歌」した条件は「失われた10年」のなかで消え去ってしまったわけだよ。

A そこに登場したのが、60年代モッブの典型でもあった村上龍の『だまされないために、わたしは経済を学んだ』だったということだね。
B 登場したところまではいいんだが、本質的に「無思想」な村上龍にできることは、せいぜい「この時代に私たちはどのようにサバイバルすべきか」というようなことでしかない。つまり本質的にミクロで「私的」な問いしか立てられないわけだよ。なにしろ「だまされないために」という次元の話だからね。村上龍がどうしてマクロな問いを立てようとしないのか、俺にはよく分からないんだが、結局それは『アンアン』や『ノンノ』の読者である「女子賃労働者」を「大衆の原像」に見たててそこに定位しようとした吉本隆明と変わらない。
A それはマルクスをはじめとする左翼の革命家たちが革命を「公的行為」とは考えなかったと2003/08/28の「対話」で君が言っていたことと関係があるんだろうか?
B あるんだろうな。あるんだろうが、どういう風に関係があるのかは見当もつかないよ。但し、ロシア革命を防衛しなければならなかったレーニンやトロツキーの場合には、「公的意識」のようなものはかなり強かったということは言っておく必要があるだろう。しかしさっき俺が「マクロな問い」と言ったものが、ここに言う「公的意識」と重なる部分があるにしても、その両者の関係はよく分からない。「新左翼」ではっきりとマクロ志向をとっているのは、マルクス派からケインズ派(ちがったか?)に転じた安保ブントの姫岡玲治こと青木昌彦ぐらいのものだろうが、そこにどういう「公的意識」があるのか俺はまったく知らない。ともかく大衆消費社会を「肯定」するということは、それを構成する「大衆」に定位してそうするということだから、そこが出発点であるかぎり、『敗戦後論』以降の加藤典洋みたいな仕方で公的契機を生み出して行くしかないのかもしれない。
A 君自身は大衆消費社会を「肯定」してはいなかったのか?
B 俺は浅田彰についてはよく分からなかったが、吉本隆明が80年代に言っていたことは「理解」していたよ。つまり「思想」としては分かったということさ。但し、俺は一貫してルンプロのモッブだったから、本質的に「私的」(=「動物的」)でしかありえない「消費」にともなう「豊かさの幻想」をそれなりに享受しながらも、そういうところに本物の「幸福」がありうるとは思わなったよ。つまり、リッチになりたいという欲求は人並みに(?)持ってはいたが、大衆消費社会の進展には基本的には違和感を持っていたということだよ。俺がユーミンのファンだった(いまでもそうだが)のは、彼女の音楽が一貫して「幸せになるために」というテーマを追求していた(いまでもそうだろうが)からなんであって、従って彼女の音楽がどれほど「トレンディー」に見えようとそれが身すぎ世すぎの「仮面」みたいなものだってことは、ユーミンのファンならみんな知っていることなんじゃないのか? つまりユーミンも俺たちと同じモッブだったということだよ。

A ユーミン(松任谷由実)の名前が出たところでついでに聞いておくが、竹内まりやの新譜『ロングタイム フェイバリッツ』はもう聴いたのか?
B もちろんさ。俺はユーミンに見られるような強烈な「否定」の契機とは本質的に無縁と思われる竹内まりやが好きではないんだが、60年代ポップスのカバー集だったら聴かないわけには行かないよ。結論を言えば、「まあこんなもんだろう」というところかな。しかし初回盤のみの特典「ボーナス・トラック&カラオケCD」の方はとても面白かった。特に「悲しきあしおと(FOOTSTEPS) ON THE STREET VERSION」が素晴らしい。アレンジャーとしての山下達郎の腕が前面に出ているのが勝因であることはまちがいないが、全曲この路線で行くべきだったね。場合によってはこのアルバムを「J-POPレビュー」で取り上げてもいいが、時間と労力の無駄かな? BGMとして聴くかぎり、これはこれで「最高」なのかもしれないが・・・。
A なるほど。悪くはないということだな。話を戻すと、「世論」レベルでケインズ派の旗色がどんなに悪く見えようと、君がいつも言っているように、マクロ政策としてはいまや財政政策よりも金融政策が中心になって来ているわけだから、デフレ克服というようなことは「政策」だの「マニフェスト」だのとは別のところ、つまり政治から相対的に「独立」した中央銀行(日銀)が中心になって進めて行くことになるんじゃないのか?
B まさに現実はその通りさ。しかも、幸いにして新自由主義を奉じていた(つまり政治からまったく「独立」してなどいなかった)構造改革主義者の速水優が総裁を退任して、俺たちが推していた中原伸之でなかったとは言え、日銀はえぬきの福井俊彦が総裁になった途端に日銀は変わったからね。つまり政治から「独立」して金融政策を進める条件がやっと整ったということだよ。しかしまさに「危機一発」だったよ。「狂人」の速水が総裁をやっていたというだけで、日銀の「独立性」が機能しなくなっていた、というこのアンビリーバブルな事実を日本国民はよく知っておいた方がいいだろう。
A ホントだよな。「むかし陸軍、いま大蔵省」なんてことが以前よく言われたが、そんなのは昔話で「むかし陸軍、いま日銀」と言うべきだよ。なんしても日銀総裁が選挙で選ばれるんじゃなくてよかったね。「構造改革を主張する日銀総裁」などが選挙で選ばれたりしたら、もう世界大恐慌(と第三次大戦?)しかないだろうからね。しかもその日銀総裁はヒトラーのような確信犯じゃないわけだから、やっぱり「大衆民主主義」というのがいちばん恐ろしいと言うべきなじゃないのか? 結局「むかし愚民、いまも愚民」と言うのが正しいんじゃないのか?
B 大きな声じゃ言えないが(^-^)、そういうことさ。ともかく10月10日の日銀の政策決定会合で「追加金融緩和」が決められたことで、「インフレ目標政策一歩手前」まで一気に進んだからね。しかもこれが9人の審議委員のうちの6人の賛成で決まったというから、速水総裁の時とは日銀の「空気」までが変わったということだろう。あとは円高阻止介入⇒非不胎化策で政府の政策抜きでもデフレを克服することができるかもしれない。

A 俺が余計なことを言ったせいで少し話がずれてしまったかもしれないが、反米主義の右派が新自由主義に反対なのは、その連中が「市場」はアメリカニズムの象徴と見ていることと関係があるだろう。また日本ではあまり目にしないのかもしれないが、新左翼サークル論壇の反米=反グローバリズム派左翼も「既成左翼」や右派と同様に新自由主義に反対であることはまちがいないと思うよ。もちろん彼らは超マイナー分子だろうから、日本の「マルクス経済学」を無視したのと同様に無視していいと思うけどね。
B もちろん無視だよ。で今回の結論を言えば、皇室と同様に政治から「独立」している日銀に危機一発「公的意識」が蘇えったことでかろうじて「公的領域」が確保されたわけだが、「大衆民主主義」がクレイジーな足の引っぱりあいをやっているかぎり、「大衆」に「公的領域」を開放するわけには行かないということが第一。そうしなくても「狂人」が日銀総裁を演じていたぐらいだからね。第二は、これは今回はまったく語っていないが、「意識的な模倣とか過去のたんなる記憶によっては説明がつかないある反復」(ハンナ・アーレント)によって、私的な「大衆」が公的な「ピープル/人民/国民」となってみずからの力で「公的領域」を創り出すことがあるということ。そして実はその「記憶」が皇室(これこそが「おおやけ」という日本語の第一の意味だろう)や日銀といった特異な「制度」を保障している可能性があるということ。クレバーなモッブの皆さんだったら言ってる意味を理解してくれるかもしれないが、要するに世の中には不可侵の「タブー」があるということ。第三は、吉本隆明や加藤典洋についてざっと見たところからも明らかなように(?)、「思想」というようなものは無力だということ。以上だ。
A あまりにも強引な結論だが、詳細はまた改めて聞こうか。


2003/10/23 (対話-39) 60年代の政治的空間について・承前

 68/69年の反乱を担ったのはハンナ・アーレントの言う「モッブ」にほかならなかった、という前回の話はとても楽しかったが、君の言う「面白ければやるが、そうでなければやらない」といったような彼らの心性、それと戦後民主主義を全否定して行くようなある意味で「倫理的」とも言える彼らの志向とはどういう風につながるんだ?
 戦後民主主義の否定という志向は、例えば「大学解体」といったような東大闘争のスローガンなどに典型的に見られたという風に言われているが、はっきり言えば俺はそのスローガンを理解できなかったよ。だって実際に大学が解体されてしまったら、その闘争は意味を失ってしまうわけだからね。だから「大学を安保粉砕・日帝打倒の砦に」といった新左翼党派のスローガンの方がずっと理解できたよ。それに、全共闘運動が戦後の全学連運動の基盤をなしていた「ポツダム自治会」に対峙するような性格を持った運動であったということもあるのかもしれないが、現実には三派全学連の活動家たちが全共闘運動の中心を担っていたという面もあったわけだから、民青などとの自治会争奪戦という側面もあったんじゃないかと思うよ。
 君の言おうとしていることがよく分からないんだが、そうすると「大学解体」というような東大などに見られたスローガンは嘘(虚偽)だったということなのかな?

 難しいね。そういうことはこれまで考えてみたこともなかったが、少なくとも「大学解体」などというスローガンは極左主義とも言えないからな。なんと言うか、ヒステリックな自己破壊衝動をそのまんま言葉にしたようなところがあるよね。そう言えば「自己否定」というような言葉もよく目にしたじゃないか。当時東大全共闘の広報誌みたいな役割を買って出ていた『朝日ジャーナル』などがそういうことをよく書いていたよね。しかしいま考えてみると、同伴ジャーナリスト(?)たちが自分たちに理解できる部分だけを誇張して書いていたようなところがあったんじゃないかと思うよ。「自己否定」というのは何なのかと言うと、それはまず例えば東大生という特権的な身分の否定ということだろ? では何に向かって「自己否定」するのかと言うと、それはプロレタリア階級本体あるいは革命の主体に向かってということだろ?
 俺に聞くなよ。俺だって「自己否定」や「大学解体」といったような考え方はほとんど理解できなかったんだし。そもそもそういうことが『朝日ジャーナル』などでさかんに言われていたのは68年の一時期だけだったんじゃないのか? 69年1月に安田講堂が陥落してからはほとんど目にしなくなったと思うよ。つまりそれは東大の医学部(?)あたりの一部の学生が言っていたことを、『朝日ジャーナル』あたりが針小棒大に書きたてたということは充分ありえただろうということさ。それから、東大全共闘の連中が丸山真男の研究室を破壊したというのも俺にはよく分からない。丸山真男が東大全共闘(の一部?)に対して敵対的だったということはあったのかもしれないが、それは対話がなかったからなんじゃないのか?

 対話と言ったって、学生がひたすら「自己否定」や「大学解体」を言いつのるだけじゃあ対話自体が成立しないからな。当時流行った「大衆団交」というのは要するに「つるし上げ」であって、そこには対話なんかありえようはずもなかったからね。いずれにしても、東大全共闘や『朝日ジャーナル』には「謎」が多いからよく注意する必要があるだろう。東大闘争の場合は助手や院生やインターンが中心を担ったようなところがあるから、世代的にもかなりちがうという点も考慮する必要があるかもしれない。ここではそれを指摘して話を戻そうか。
 その前に俺としても是非言っておきたいのは、『朝日ジャーナル』などが書きたてた「自己否定」や「大学解体」といったような発想は「俺たちモッブ」にはほとんど縁がなかったということだよ。それどころか、そういった発想自体が俺たちがやろうとしていた「面白いこと」に敵対してさえいるように思えたということだよ。69年大学入学組(東大入試中止のため浪人する者も多かったかもしれない)はそれによって腰が引けたようなっところもあったんじゃないのか。もちろん東大全共闘や『朝日ジャーナル』が「闘争破壊者」だとか「敵のスパイ」だった可能性があるというようなことが言いたいわけではないんだが、君の言う「謎」以上のものもあっただろうということだよ。もっと言えば、『朝日ジャーナル』に限らず三派全学連や全共闘の戦いに関して当時流通していた「解説」や「説明」はすべて疑ってかかった方がいいということだよ。何故なら、それらは基本的には「理解」できることしか語っていないからだよ。「理解」することを拒否した多くのマスコミや日本共産党は「暴力学生」とか「極左暴力集団」とか「トロツキスト」といったキャンペーンを展開していたが、言うまでもなくそれは君の言う「モッブ」や「暴徒大衆」という規定とは根本的に別物だからね。言い方は似ているが(^-^)。

 君は新左翼や全共闘がやっていることは「戦後民主主義批判」であると言われていたこと(いまでも言われているだろう)自体が「嘘」だったかもしれない、ということが言いたいのかな?
 その可能性があるということだよ。だいたい君自身が前回の「対話」で、68/69年のモッブたちは自らのラディカリズムのなんたるかがまったく理解できないままなし崩しにシラケて行ったと言っているじゃないか。それが「ほんとうの話」なんだと思うよ。君の言う60年代モッブ大衆にいちばん近い人物、あるいはその「理想型」として俺は村上龍を挙げたいと思うんだが、彼の『69』や『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』の主人公たち(そこに作者自身が投影されていると考えてまちがいない)こそ君の言う「モッブ」そのものじゃないか。村上龍は俺たちより学年が下(ひとつ下)である分よりモッブ度が強く、従ってポップでもあるということなのかもしれないが、いずれにしても村上龍には「戦後民主主義批判」などといったモチーフはまったくない。そこにあるのは「面白いこと」に対する獰猛なまでの欲望じゃないか。俺たちより2学年上の村上春樹の「鼠/羊」シリーズに見られる志向だって、村上龍ほどむき出しではないにせよ基本的には似たようなものだろう。つまり、当時よく言われた「戦後民主主義批判」というラディカルな青年層の志向というものは「神話」だったとまでは言わないが、当事者たち自身の自己認識も含めてどこかズレていたんじゃないか、ということだよ。

 要するに、青年層を中心にした68/69年のラディカリズム大衆というのは、「戦後民主主義」の制度とイデオロギーが60年代の高度経済成長と消費社会化のなかで急速に空洞化して行く過程で産み落とされた大量の逸脱者の群れにほかならなかった、という俺たちのテーゼが「ほんとうの話」だったとすると、当時語られていたもっともらしい「解説」や「説明」は結局のところもろもろの「物語」に過ぎなかったということになるということだな。しかしその俺たちのテーゼにしても、現時点におけるひとつの仮説と考えておくのが賢明だと思うし、「自己否定」や「大学解体」といった言葉やスローガンがかなり嘘っぽいものだったというのはその通りだとしても、新左翼諸党派の綱領や政治方針といったものはもちろん嘘などではなかったし、それぞれの方針と指導のもとに学生を中心とする多くの大衆が結集していたという事実は動かせないよ。
 そんなことは分かってるさ。しかし「モッブ」という言い方は、俺たちがなにか目的のようなものを持っていたと言うよりも、「とにかく行けるところまで行こう」といったような盲目的な衝動に突き動かされていた、という「事実」を適切に言い当てていると思うわけだよ。それは破壊的な衝動にはちがいないわけだが、ではそこにはいかなる「目的」や「目標」もなかったのかと言うと、もちろんそうではなくて、そこにハンナ・アーレントの言う「新しい始まり」が見られたかぎり、そういうものはほとんど全面肯定されていたはずなんだ。しかし結局のところ広義の「解放区」の広がりよりも先には進めなかったわけで(進もうとした部分もあったが、それらはほとんど例外なく壊滅した)、そうであるかぎり「新しい始まり」=「解放区」といったものに限界づけられていた、と言うことはできるだろう。だからそこには新しいエートスみたいなものが間違いなくあったと思うんだが(それは「戦後民主主義批判」という志向よりも「深い」)、それが「機動隊の壁」を超えることができなかったところで「解放区」は崩壊し、そこに生成しつつあったモッブたちの新しいエートスと「権力」はバラバラに分解してしまったということだよ。

 たしかにその通りだろうね。「とにかく行けるところまで行こう」とはよく言ったよ。「面白いからやる」というような気分は68年ぐらいまではあったんだろうが、69年にはもうそういう「自由」な気分はなかったのかもしれない。と言うか、「面白いこと」=ラディカルな行動という図式は既に所与となっていて、69年春頃には「次の段階」へ飛躍できるかどうかということが問われていたわけだからね。赤軍派が生れたのもこの時期だったわけだが、しかしそれは外的な問題(例えば「機動隊の壁」)であるよりは、内的な問題だったような気がするね。つまりハンナ・アーレントの言う「人間事象のもろさ」という局面に突き当たったということなんじゃないのか。それは生成途上のエートスと「権力」しか持ち合わせない若いモッブ大衆にとっては、とうてい手に負えるシロモノではなかったのかもしれない。こうして68/69年の大衆反乱はあっけなく空中分解してしまったわけだが、そこに誇れるものがあったとすれば、それもまたすべての「政治現象」の縮図ではあったということだろうね。
 もっと言えば、60年代のモッブ群衆こそが70年頃に始まる日本の全面的大衆社会化の「地ならし」をしたということだろう。つまり、彼らは80年代の中曽根新自由主義路線に遥かに先駆けて日本の「階級社会」と「利益調整型政治」を壊してしまったわけだ。よく考えてみたら彼らモッブは恐ろしいことをやってのけたわけだよ。だから誇れることなんかなにもないと言うべきなんじゃないのか? 言ってみれば、それは「自然過程」みたいなものだったんだから。俺が言っているのは、結果から言えばそのように言えるということだよ。だからそれを最近のスガ秀実のように「68年革命」と呼んでみてもあまり意味がないということだよ。意味が出て来るのはハンナ・アーレントのように「大衆社会」のダイナミクス、あるいは「革命」(あくまでもアーレント的な意味での)としてそれを記述して行く場合だけだろう。もうひとつ言えば、君がやろうとしているように、PPMやビートルズにおける「新しい始まり」との関連でそれを語る場合ぐらいかな。
B 俺たちは中曽根の「露払い」だったのかよ。笑えねえな。ついでだから言わせてもらうが、中曽根老人は徹底的に戦うべし。政治家に「定年制」などを設ける方が狂っていると言いたい。


2003/10/17 (対話-38) 60年代の政治的空間について 

 前回の「対話」の最後のところで、君は小野田襄二の『革命的左翼という擬制 1958〜1975』(白順社)という本のことを言っていたが、今回はそれから行くかい?
 ああ、そうしよう。その小野田襄二というのは最近は数学についての本を出しているみたいだが、60年代は革共同全国委(いわゆる中核派)の指導部のひとりだった人物で、67年10月に革共同を離れて翌68年10月に中核派の元活動家たちと一緒に『遠くまで行くんだ』という同人誌を出している。君や俺が小野田襄二のことを知ったのはこの『遠くまで行くんだ』によってだったよね。
 もちろんそうさ。なにしろ君が言ったその時期は、俺たちは高2から高3にかけての頃だったわけだからね。ヘルメットを置いて向こうの方へ歩いて行こうとしている若者を描いた表紙の絵が強烈に印象的だったという記憶があるよ。その同人誌についてはスガ秀実が『革命的な、あまりに革命的な』でも触れていたぐらいだから(この本については「つぶやき2003/07/05」を)、当時かなり注目されていたみたいだね。
 それはそうだろう。『遠くまで行くんだ』が創刊された68年10月頃というのは、学生運動の主体が三派全学連から全国の全共闘運動へと移行して行った時期だからね。当時は大量の若者(学生)たちがノンセクトのまんま運動に飛び込んで来た時期だから、俺たちみたいなノンポリの高校生にまで読まれたということなんだろう。中核派を離れたノンセクト・ラディカルたちが出した雑誌という点にグッと惹き付けられたということなんだろうな。しかし今度出た『革命的左翼という擬制』ではそれについてはほとんど触れられていない。なにしろテーマが「革命的左翼」、つまり革共同(中核派)という新左翼党派の批判ということだから。
 ヤバイこともいろいろ書かれていてるんだろうね。
 ヤバイ、ヤバイ。なにしろ導入部が本多延嘉(革共同全国委書記長)が殺された直後の話から始まるぐらいだから(75年のこと)。しかし今回俺が話題にしたいのは、この本に書かれていることというよりも小野田襄二という人物の感性や行動のエートスにからむ話なんだ。

 エートスなんて言葉はいまじゃほとんど死語なんじゃないのか?
 まさにね。今回俺が話をしてみたいと思っているのも実はそれなんだよ。つまり俺たちが『遠くまで行くんだ』に出会った頃には、行動のエートスなんてものはもうなかったんじゃないかということだよ。
 ちょうど境目あたりだったんじゃないのか? 「10.8羽田」で京大1年生の山崎博昭が死んだあと、彼が上京して来るに当って持って来た本を新聞が紹介していたじゃないか。そこには7冊ぐらいの本が紹介されていたが、俺はそのなかのキルケゴールの本というのに強く反応したよ。やっぱり学生運動に入って行くヤツというのは真面目で真摯なんだ、という風に受け取ったということだよ。
 そうだよね。その頃のアメリカやイギリスのポップ・ミュージックはサイケデリックとフラワー全盛だったからな(ジェファーソン・エアプレイン「あたただけを」、ドアーズ「ハートに火をつけて」、スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」等々)。もちろん君も俺もヒッピーのフラワー・ムーヴメントなどに共感したことなどなかったはずなんだが、それでも「10.8」を戦った山崎博昭のキルケゴールには充分に衝撃を受けたと同時に一種の違和感もあったよね。と言うのは、当時の日本の高度経済成長とビートルズ等のポップ・ミュージック(あるいはそういうものがもたらした気分)の洗礼をたっぷりと受けて、「面白ければやるが、そうでなければやらない」というような、もはやエートスとは言えないような気分が広がっていたはずなんだ。
 そこに「10.8」という途方もなく「面白そうなこと」が飛び込んで来たわけだよね。三派全学連の闘争はそれ以後「11.12羽田」、「佐世保」、「王子」、「三里塚」という風に拡大しながら展開して行くわけだが、そうした拡大は60年代後半の情報社会を抜きにしてはありえなかったのかもしれないね。68年の「王子」の頃になると、ニュースを見て駆けつけて来た野次馬の方が党派の活動家などよりずっと過激で乱暴なことを平気でやっていたみたいだからね。君の言う「面白ければやる」というのが、まさに現実になったわけだよ。

 そういうことだよね。俺は小野田襄二の『革命的左翼という擬制』に60年代論みたいなものを多少は期待していたんだが、そういったことはほとんど書かれていない。そういう気分に促されて、68年10月に『遠くまで行くんだ』を創刊したにちがいないはずなのにだぜ。全共闘運動に飛び込んで来た大量の学生たちというのは、仕事を持たない「佐世保」や「王子」の野次馬みたいな存在だったわけだからね。
 小野田襄二のその本のタイトルがまたおかしいよね。明らかに吉本隆明の60年安保闘争総括の書である『擬制の終焉』を意識したタイトルだよね。つまり小野田襄二は60年代を通過していないということなんじゃないのか? もしまともに通過していたら、そんなタイトルはつけないよ。
 そうだろうな。だいたい小野田襄二の感覚が完全にサークル主義の「安保革共同」なんだよ。俺はこの本を読んでいて、「戦後主体性論争」だの「プロレタリア的人間の論理」といったようなものがタイム・スリップして来て、21世紀のいま突然亡霊のように甦ったような気がしたよ。だからそこに書かれている時代は主に60年代であるにはちがいないんだが、書いている方の感覚はほとんどオールド・コミュニストなんだよ。小野田襄二は「私の責任」とか「私が犯した罪」ということを書いているが、俺としてはそういう感覚の人間が60年代の新左翼運動の指導部の一翼を担っていたことの方が問題だったと言いたい気がするよ。少なくとも60年代に生きて運動を組織して行こうというんだったら、その時代の感性というものをよく理解する必要があったはずなんでね。
 しかし、小野田襄二には小野田襄二なりのエートスというものがあったんだろ?
 もちろんさ。しかしそれについて興味があればこの本を読んでもらうことにして、ここでは67/68年頃の俺たちのヒーローだった秋山勝行(三派全学連委員長)を主体性もなんにもない革共同指導部のロボットのように書いているのは納得が行かない、ということを言っておきたい。もし秋山勝行が本当にそういう人間であったのなら、はっきりとそう書いて批判しておけばいいことなんだ。しかし小野田襄二がこの本でやっているのは、いま言ったような秋山勝行の像を説明らしい説明もなく示すというようなやり方なんだよ。この本によると秋山勝行は60年の入学らしいから、もうほとんど旧世代の人間だったわけだが(ジョン・レノンやポール・マッカートニーとほぼ同時期の生れだからそうは言えないか)、それでも60年代的な感性は持っていたのかもしれないね。それが小野田襄二には理解できなかったということなのかもしれないが、この本からはそれ以上のことは分からない。いずれにしても、俺としては革命運動に専念するために自分の子宮を手術で取ってしまうような50年頃の日本共産党の女性党員たちのエートスはよく理解できても、小野田襄二のインテリ・コミュニスト風のエートスには理解しがたいものがあるよ。

 68年に話を戻すと、「佐世保」、「王子」、「三里塚」を経て「10.21新宿(騒乱闘争)」へと拡大して行く党派主体の街頭闘争と、それが起爆剤となって燎原の火のように全国に燃え広がった全共闘運動があったわけだよね。結局あれはどいういう性格の闘争だったと言うべきなんだろうか?
 ひとことで言えば、「解放区闘争」と言っていいんじゃないのかな。党派レベルでは「空母エンタープライズ寄港阻止」とか「王子野戦病院開設阻止」とか「空港建設阻止」といった政治目標が掲げられてはいたが、そこに多くの野次馬やノンポリ学生やノンセクト・ラディカルたちが参入・結集して来ることで、街頭の一時的制圧から「解放区」の維持・拡大の方に政治的焦点が移って行ったと思うわけだよ。だから、全国の大学に(高校や予備校にも)全共闘が結成されて、大学占拠とバリケード封鎖それ自体が目的意識的に追及されて行くようになったのはむしろ必然の成り行きだったと言うべきなんでね。
 それにしても当時の若い連中の暴力的なまでにラディカルな気分というのは注目に値するよね。69年に入ると秋の佐藤(首相)訪米阻止という課題が党派を超えて「政治決戦」として提起されて来るわけだが、実際にやるやらないは別にして、「この秋死ぬ気があるのか(ないのか)」というような言葉が当然のように飛び交うようになって行くじゃないか。あれはいったい何だったんだ?
 まさに「時代の気分」だな。69年夏頃に相良直美の「いいじゃないの幸せならば」という歌(作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく)が大ヒットしたじゃないか。よくもあの時期にああいう歌を作ったものだと感心するほかないが、まさにあれこそ当時の新左翼とノンセクト(ノンポリ)大衆の気分そのもだったわけだよ。いずれにせよ、そこにおいてはもう小野田襄二のエートスみたいなものは完璧に吹っ飛んでいたと言っていいんじゃないのかな。それは「10.8」を起点とする「大衆運動の弁証法」とでも言うべきものものなのであって、あの巨大なエネルギーが「不発」に終った(69年秋には数十人から数百人規模の死者が出るはずだったのが、終ってみれば死者は1人だけだった)というのはいかにももったいなかったな。
 たしかにそうだったね。そしてそのことが新左翼の「敗北」ということの実質内容だったろうと思うわけだが、しかしながら、68/69年頃の若者層すべてを覆うようなノンセクト(ノンポリ)大衆の気分というものは、依然として「問題」であり続けているということだよね。いや、こういう「問題」の出し方をしたのは俺たちがはじめてなのかもしれないが、それはともかく、前回の「対話」で君が言っていた1980年頃に完成を見た「大衆(消費)社会」における大衆と、若者層すべてを覆うような68/69年頃の大衆とはどういう関連があるんだ?

 もちろん後者が前者に移行したということであるわけだが、68/69年のラディカルな大衆というのはハンナ・アーレントの言う「モッブ」に近いんじゃないのか。この場合の「モッブ」というのは、戦後民主主義の解体過程が産み落とした大量の逸脱者の群れと言っていいだろうと思う。戦後民主主義というのは、経済的な側面から言えば戦後のニュー・ディール型資本主義にほかならないわけだが、それが60年代の高度経済成長を生み出して行くなかで、その「偽善の仮面」のようなものが剥ぎ取られて行ったのが60年代後半の過程だったと言えるかもしれない。その具体的な分析は専門家にやってもらうことにして(そもそも専門家はそういう「問題」があることを知らないかもしれないが)、この逸脱者にして侵犯者でもあったモッブ大衆は69年秋の「不発」を経て、だいたい70年を境にして急速に霧散をはじめている。こうして「モーレツからビューティフルへ」、「熱狂からシラケへ」、「政治から内向へ」という大転換が急速に進行して行くのが1970年代という時代だったということだ。
 なるほど。いつハンナ・アーレントが出て来るのかと思っていたら、やっと出て来たね(^-^)。ハンナ・アーレントの大衆社会論というのは、その構成因子という側面から見れば階級論と大衆論、そしてその両者をつなぐモッブ論から成ると言ってもいいように思うわけだが、それが日本の60年代論、70年代論、80年代論にも「使え」ようとは思いもよらなかったよ。
 20世紀の社会学というのは大なり小なりマルクス主義的発想の枠内にあったと言えると思うが、「政治」という領域を社会に還元してしか見て行くことができないかぎり、60年代の政治的空間のダイナミズムはつかめないんじゃないのか。同じ事情が当事者だった68/69年のラディカルな大衆の方にもあったわけで、彼らは自分たちのラディカリズムのなんたるかがまったく理解できないまま、なし崩しにシラケて行ったわけだ。そういう風に考えないと60年代に固有の「問題」は分かりようがないだろう。
 つまり68/69年のラディカルな大衆というのは、レームの突撃隊とか「世界戦争」の参加者みたいなものだったということなんだろうが、その主体が「ビートルズ世代」にそっくり重なるという事情を、君の得意な「オートマティックな物質化の弁証法」(?)でもう少し分かりやすく語って欲しいよ。特に日本に特有の事情をね。
 それは次回以降のテーマだな。今回は「俺たちは暴徒にほかならなかった」(^-^)ということがしっかり確認できれば充分だろう。60年代のモッブ群衆は、インチキ臭い諸社会集団の利害調整でしかない「政治」それ自体を否定し、これを根底から破壊しようとしたということだ(あらゆる場面で彼らが戦った対象は「戦後民主主義」そのものだったろう)。そして(潜在的には)「政治」の次元を純化せしめようという指向を持っていたということだ。だから、まさにあれこそハンナ・アーレントの言う「革命」にほかならなかったと言って構わないだろうということだよ。そこで追求された政治形態も、民主主義と言うよりは共和政に近いものだったろうからね。

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